自社ブランド確立への挑戦
代 表:篠崎 光繁
所在地:直方市溝堀2-7-13
設 立:1966年5月
業 種:鉄鋼業ほか
創業時より、炭鉱や製鉄、セメント向けの機械の設計・製作を主体としていた直方工業(株)。近年は水処理プラントや変圧器用大型ボックスの設計・製作で、名を馳せている。脱・下請の事業展開を図って自社ブランドの確立を目指す現状とこれからの方向性について、同社代表取締役の篠崎光繁氏にお話をうかがった。
自社ブランドをつくりたい
―現在の世界的な経済状況の悪化を受けて、御社を取り巻く環境はいかがでしょうか。
篠崎 端的に言えば、厳しいです。しかし、企業として生き残りを掛けるためには、変化をしていく必要があります。
弊社は1938年4月に篠崎組として創業、66年5月に法人化され、現社名の直方工業㈱となりました。地域柄もあり、創業時より炭鉱や製鉄、セメント向けの機械を設計・製作してきております。当時は現在と異なってコンピューター化されておらず、製造には熟練工の手が必要不可欠でした。いろいろと紆余曲折はありましたが、おかげさまでお客様からの信頼を得ることができ、弊社は製品に対する「技術力」での評価をいただいております。
―転換期となる新たな分野への進出は、いつ頃からでしょうか。
篠崎 具体的には、約10年前から本格的に取り組んでいます。その頃弊社は、もともと評価されていた技術力を武器に、さらなる事業展開を図ってきていました。
しかし、下請が主体であったため、受注先から価格を叩かれ、薄利に陥るジレンマに悩まされました。これでは、何のために苦労して製品を作り上げたのかが分からなくなります。幸い、弊社には確固たる「技術力」がありました。ならば下請主体ではなく、自社ブランドの製品を作ろう、となったのです。その第一歩が、水処理プラントでした。
私自身が設計出身ですから、何か新しいものを作るということにはやりがいを見出せました。また、先代の時代から弊社には熟練工がたくさんいましたが、彼らが定年を迎えて熟練工の数が昔と比較して極端に減少したことも、新分野への挑戦の一つの要因でした。
【新田 祐介】
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