元大蔵事務次官の斎藤次郎氏(73)が、日本郵政の後任社長になることが決まった。それは、鳩山民主党政権で進む旧大蔵帝国の全面復活を象徴している。内定当日の記者会見で斎藤氏が見せた満面の笑みが、すべてを物語っている。
あの嬉々とした様子を、奇異に思った人も多かろう。国民新党代表の亀井静香郵政・金融担当相は10月21日、退任を表明した西川善文・日本郵政社長(元三井住友銀行頭取)の後任に、東京金融取引所の社長を務める斎藤氏の起用を発表した。これを受けて斎藤氏は記者会見に喜色満面の笑顔で応じ、この14年間、斎藤氏の「鬱々として楽しまない日々」を知るものを驚かせた。
「10年に一度」の大物次官と言われた斎藤氏は、1959年に旧大蔵省に入省。主計局長時代には、当時勃発した湾岸危機で小沢一郎自民党幹事長(当時)と組んで、国際貢献税構想を提唱した。後に非自民連立の細川政権では、政権崩壊の引き金となった国民福祉税構想を、やはり小沢氏と組んでぶち上げている。ところが、非自民連立政権崩壊後、政権に復帰した自民党から、その過度に小沢氏に傾斜した姿勢が嫌気され、95年に事務次官退任後は冷や飯を食ってきた。
元大蔵事務次官の山口光秀・東京証券取引所理事長が2000年に任期満了で退任する際には、有力な後継者として名前が浮上し、斎藤氏本人も色気を見せた。しかし、当時の自民党・野中広務幹事長が「悪魔に魂を売った奴の復権を許さない」と、記者会見などで名指しで批判。代わって、斎藤氏と入省同期の土田正顕・国税庁長官(ピース缶事件の土田元警視総監の実弟)が東証理事長に就任した経緯がある。元大蔵事務次官にとって、日銀総裁と東証理事長は最高級の「天下り」ポストだった。なかでも、激務の日銀総裁と違って、名誉職的な色彩の濃い東証理事長は、次官OBにとって垂涎の的。それが、入省同期で、しかも自分より格下と思っていた土田氏が就いたことで、「以来、鬱々として楽しまずの日々が続いた」と、元住友銀役員は振り返る。
それが、今回の復権である。任命したのは亀井氏だが、もちろん、盟友の小沢氏の意向も踏まえてだろう。他の事務次官経験者が、日本政策投資銀行や国際協力銀行の総裁や地銀の頭取などに天下るなか、斎藤氏だけが見劣りするポストだったため、今回の日本郵政社長への起用内定で「これで斎藤復権の桎梏は片付き、大蔵省は完全に復活した」(元財務官僚)と言われる。
【神鳥 巽】
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