<腕力で牛耳る>
14日の民主党福岡県連常任幹事会に向けて、このタイトルのように「助信良平幹事長を民間人に解いて地獄に落とすな」(幹事長辞任勧告)と主張するつもりでいた。ところが、世はまさに『激変時代』である。現実の動きの方がダイナミックだ。
民主党福岡県連会長である松本龍代議士が「会長辞任」を発表した。いままで、民主党を蔑ろにしてきた商工会議所福岡県連合会との意見交流懇談会の席で、辞任表明をしたのである。掌を返してきた商工会議所関連者への当てつけ・うっぷん晴らしの意味もあろう。
ただ、本音のところは、「助信幹事長!!会長の私が辞めるのだから、君も身を引きなさい」と通告したのである。「どうせ14日の席上では、公私混同の極みである助信幹事長の退任要求が突きつけられる」ことを見越して、松本会長が決断したと見る。先手必勝の英断だ。
大義名分も立つ。松本代議士は今回、民主党両院議員総会会長という要職に就いた。「中央政治に専念しなければならない」という理由には、誰も反論できない(一部には「会長から相談がなかった」とぼやいている国会議員もいる)。
この流れには、助信幹事長も逆らうわけにはいかない。だが、本人自身も意外とサバサバしていた。民主党設立以来、福岡県連は松本・助信コンビで賄ってきた。中核に座る人材は、この2人しかいなかったのが現実であった。少数派の悲哀に満ちていた民主党を、助信氏の「腕力」で大きく見せてきた実績は認める。社会党時代には、助信氏のような豪腕政治家は珍しくなかった。現在の民主党のなかでは、稀有な存在だ。国会議員たちも県内の地方議員たちも同氏を煙たがっていたが、頼らなければならない背景もある。泥を被りたくない議員たちを尻目に、助信氏が一人で「汚れ役」を引き受けてきたのだ。
<与党になれば、求められるのも変わる>
ところが、民主党は政権与党になった。激変したのである。前項で指摘した通り、3年前の福岡・北九州両市長選から今回の衆議員選挙まで、民主党に勝利をもたらした助信氏の貢献度は非常に高い。しかし残念ながら、同氏の「腕力」のピークは、3年前の両市長選挙までであった。助信氏の腕力で無理に強いた吉田福岡市長の誕生は、「福岡市民を4年間も不幸にする」という弊害を生んだ。このように、助信氏の政治手法は、必ず『負の遺産』をもたらす。福岡市においてこの『負の遺産』は、収拾のつかない事態を惹起しているのだ。
加えること、今回の筑後市市長選挙の、民主党の推薦決定をめぐる同氏の立ち回りは、反党的行動と批判を浴びても致し方ない。ここまで助信氏個人の独走を許したのは、議員たちの無責任ぶりにもある。前回も触れたように、「党のために汗を流したのに、公私混同の妬み・批判が出る」と助信氏が悔やんでいた。福岡県内には13名もの国会議員がいるのだ。彼ら13名がすべて、民主党福岡県連の『ボタ』を背負う覚悟をする必要がある。そうしないと、助信氏に幹事長の席を外れさせる意味もなければ、政権与党の任を担うこともできない。
松本会長の辞任で一挙に事態は流動化した。助信氏にとっても、民間人へと脱出する環境整備ができた。めでたし、めでたしとなった。14日には、民主党福岡県連も新しい指導部の骨格ができあがる。どういう人事になるのか、注目していきたい。
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