[穴吹工務店倒産の衝撃]
取締役全員が社長を解任――。分譲マンション大手の(株)穴吹工務店(香川県高松市)でクーデタ事件が勃発した。同社の発表によると、11月24日の取締役会で、社長以外の11人の取締役全員一致で創業家出身の穴吹英隆社長(58)の解任を決定。朝倉泰雄専務と池内孝信専務が代表取締役となり、グループ2社とともに東京地裁に会社更生法の適用を申請した。負債総額は3社合計で約1,509億円。
お手討ち一転、返り討ち
その1カ月前は逆。穴吹社長が、11月3日に開催する臨時株主総会で、11人の取締役全員の解任を決議する予定だった。「円満な事業継続を害し、株主価値を著しく毀損する」動きがあったというのが解任の理由。大半の取締役は辞任。臨時株主総会では、穴吹社長の長男の圭輔氏(31)と次男の友次氏(29)、社外取締役の計3人を新たに取締役に選任する。
ところが、総会前日に解任案を撤回し、総会も中止に。事態を憂慮した銀行が、穴吹社長を説得して解任案を取り下げさせたといわれた。取締役全員が復帰した。
今回は、オーナー社長がお手討ちにしたかった取締役全員から返り討ちにあった。会社更生法は、株主も経営陣も総退場。取締役たちは、オーナー社長と刺し違えることで同族経営と訣別。支援企業のもとで再建させることを選択したわけだ。
「お家騒動の背景には、創業家出身の穴吹社長と、先代社長時代からの大番頭である2人の専務との対立があった」――マンション業界では、こう解説した。
スポンサーを巡り大番頭と対立
穴吹工務店は1905年の創業で、家業を継いだ穴吹夏次氏(故人)が61年に株式会社に改組。戸建て住宅の建築を行なっていたが、78年からマンション分譲に進出。「サーパスマンション」を全国展開して急成長した。
穴吹英隆氏は、夏次氏の長男。75年、東京理科大学理工学部を卒業し、フジタ工業(現フジタ)で修業を積んで79年に穴吹工務店に入社。94年に父親の後を継いで社長に就いた。07年、マンションの販売戸数は5,037戸となり、29年間首位を独走してきた大京を抜いて全国1位となった。08年は3,843戸で全国3位。
穴吹氏は、パトロンとして名を高めた。プロ野球・オリックス球団の二軍スポンサーとしてネーミングライツ(命名権)を購入、チームの名称は「サーパス神戸」。プロバスケットボールbjリーグ「高松ファイブアローズ」のスポンサーになり、ユニホームへの広告やチケット購入で支援した。
業績が好調の頃は、スポンサーとして大判振る舞いしても何の問題もなかった。逆風に直面したのは08年から。金融危機に端を発するマンション不況で、09年3月期連結決算の最終損益は、過去最悪の138億円の赤字となった。
この間、先代時代から同社を支えてきたのは、「大番頭」といわれた2人の専務。マンション建設担当の朝倉泰雄専務と、財務担当の池内孝信専務だ。マンションの販売戸数が落ち込むなか、大番頭の2人が本業と関係ない事業やスポンサー契約の見直しを求めたところ、穴吹氏の逆鱗に触れ、取締役全員の首切り事件に発展した。これが業界の見方だ。
同族経営とはいえ、経営を仕切ってきた両専務の首を切り、長男と次男を取締役に据えようとする身勝手さに、金融機関や取引先は猛反発。穴吹氏は、銀行や取引先を味方につけることはできなかった。結局、取締役全員から解任されてしまったのである。
【日下 淳】
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