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ハウステンボスの救世主になるか 澤田ホールディングスの澤田秀雄社長(下)
東京レポート
2009年12月22日 08:00

ライブドア事件での変死
 澤田氏は投資ビジネスでも、若手の金融スペシャリストをスカウトしてきた。野口英昭氏(故人)は、その1人だ。彼は準大手証券の国際証券(現・三菱UFJ証券)に入社。公開引受部に在籍し、ベンチャー企業の上場案件を担当していた。その縁で、オン・ザ・エッヂ(のちライブドア)の取締役、宮内亮治氏にスカウトされて、上場準備を取り仕切り、2000年4月東証マザーズに上場を果たした。
 だが、社長の堀江貴文氏とは折り合いが悪かったようだ。「やはり証券会社でこそ自分の力を発揮できる」と考え、エイチ・エス(HS)証券(旧協立証券)に転じた。ここでも上場準備を取り仕切り、04年10月大証ヘラクレスに上場した。
 澤田氏のお荷物になっていたスカイマークの売却を仲介したのは野口氏だ。野口氏が旧知の間柄である西久保氏に声をかけ、即決で出資が決まった。これで澤田氏の絶大の信頼を得た野口氏は05年6月、HS証券副社長に抜擢された。
 HS証券は05年7月、産業再生機構が支援中の熊本最大のバス会社、九州産業交通(現・九州産業交通ホールディングス)を47億9,500万円で買収。買収の受け皿としてHIS-HS九州産交投資事業組合を組成したのが野口氏だ。同年6月には、福岡市の商品先物取引会社、オリエント貿易(現・エイチ・エス・フューチャーズ)を買収。いずれも野口氏の手腕だった。
 だが、ライブドアが証券法取引法容疑で摘発された直後の06年1月、野口氏は沖縄で変死。享年38歳。HS証券に移ってからも、ライブドアの宮内氏の信頼は厚く、野口氏は投資事業組合を使ったM&Aの手法を宮内氏に手ほどきした。野口氏の死の真相はいまひとつはっきりしないが、投資事業組合にからんだものであることは推測できる。

再びM&Aを強化
 野口氏の急死後、投資銀行業務に通じた金融のプロがいなくなった。そのため、HS証券は07年3月、金融庁から業務改善命令を受ける失態を犯した。同社が主幹事を務めたベンチャー企業の新規上場に際して、その企業の要求を受け入れ、公募価格を高値に設定したことだ。上場予定企業の言いなりに公募価格を設定するとは、主幹事証券失格である。
 澤田氏は07年4月にHS証券を分割。証券業務は新HS証券が承継、旧HS証券は澤田ホールディングスに商号変更して持ち株会社に移行。澤田HDの下に、新HS証券やモンゴルのハーン銀行、投資会社HSインベストメント、買収した九州産業交通HD、金融先物取引の外為どっとコムなどをぶら下げた。要はHS証券の立て直しである。
 だが、金融危機の影響で、証券、モンゴルの銀行、商品先物は不振。FX(外国為替取引)首位の外為どっとコムの稼ぎで黒字を計上する苦しい展開になった。09年3月期の営業収益177億円は最盛期(236億円=06年3月期)の4分の3にとどまった。
 そこで業績向上を目指して、再びM&A(合併・買収)による企業投資に舵を切った。09年9月、ジャスダック上場のコンパクトマンション分譲会社、アスコット(東京都新宿区)の株式を取得し、持分法適用会社に組み入れた。
 そういうときに、澤田氏へ佐世保市からハウステンボスの支援要請があった。協議がまとまれば、澤田HDが投資ファンドを組成して買収、運営をHISが担うことになる。年明け早々に結論が出る。澤田氏は、ハウステンボスの救世主になるか?

(了)

【日下 淳】


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