野口 孫子
策略 (3)
岡田は腹心の部下として、坂本の手となり足となり、よく働いた。秘書室長も広報部長も、自分の昇進につられて協力することに同意した。サラリーマンは地位と名誉に弱い。坂本の周辺には、正義感を持つ骨のある人間はいなかった。
それ以降、秘書室長の報告で社長室へ出入りする役員の目的が分かるようになり、坂本の身辺調査をしているのは、尾島と細川の両常務だけであることが判明した。しかも、彼らがつかんでいるのは噂だけで、はっきりとした確証が取れていない段階であることもわかった。
「確証をとられていない限りは、大丈夫だろう」
坂本は安堵した。しかし、一寸先は闇。まだ何があるかわからない。
「事を決定的なものにするためにも、既成事実を急いで作らねば…」
そう呟くと、自然と電話に手が伸び、岡田に内線を入れる。
「広報部長とよく打ち合わせをして、新聞社への根回しを早急に準備しろ。抜かりのないようにな」
「お任せください。今度、営業統括本部が台湾へ2泊3日の社内旅行に出かけることになっていますが、その中日に記事が出るように仕掛けます。坂本専務は国内にいないわけですから、専務自身からのリークではないというアリバイができます。『自分のあずかり知らぬことだ』とシラを切ればいいことですから」
すでに実行日まで決していることを知った坂本は、「あいつもやるなあ」と思わず感心した。と同時に胸中では、「いよいよだな」という期待と不安の念が交錯していた。
坂本は台湾から帰ると、自宅のテーブルに置かれた新聞をおもむろに手にして、目を通した。そこには、「山水建設、坂本社長に決定!中井社長は会長へ」との活字が躍っていた。「来年6月の株主総会で正式に決定」との解説も付されていた。
坂本は、すぐさま岡田に電話した。
「新聞を読んだ。世話になったな。ありがとう」
「無事のお帰り、ご苦労様でした。これで坂本社長は確定です。記事は中井社長の裏を取ったうえで書かれているようです。中井社長は記事に書かれることを反対しなかったみたいですよ。これで決まりです。おめでとうございます」
自分のセッティングがうまくいったこともあり、祝福を述べる岡田の声も軽やかであった。
翌朝、坂本が出社すると、社内の様子は一変していた。
「おはようございます」と会う人ごとの挨拶であった。専務室にも電話でのおめでとうコールが鳴り止まなかった。
坂本は人生最良の日を迎えていた。
(つづく)
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