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経済小説

飽くなき権力への執念 [1]
経済小説
2010年1月16日 10:00

野口 孫子

新聞辞令 (1)

 坂本信一は25階の高層ビルの専務取締役営業統括本部長室の窓から、今にも笑みがこぼれそうな顔で、朝日に照らされた大阪の街並みを見下ろしていた。机の上に置かれた昨日の東京新聞には、「山水建設の専務坂本氏、次期社長に内定! 現中井社長は会長へ」との活字が躍っている。東京新聞のスクープ記事だった。
 12月末というのは、社長人事の発表としては早すぎる時期だ。決算は3月、株主総会は6月、このようなタイミングで社長人事が発表されるわけがない。
 社内では、次期社長は坂本か、山水工業出身の北大卒の吉川かと囁かれていた。社内の空気は、バランス感覚の良さと人格から、吉川待望論が大勢を占めていた。
「このような人事を知っているのは、現社長の中井と坂本しかいないはずだ」
 社員の誰しもが思った。2人のうちのどちらかが、新聞社にリークしたとしか考えられない。
 坂本は一人感概深げに思いに耽っていた。
「俺もついにここまで来たか。これで既成事実ができた。もうひっくり返ることはないだろう」
 朝出社した際、部下の社員たちが「おめでとうございます」とそれぞれに挨拶に来た。新聞を見た幹部連中、ゴマすりの社員、下請け工事店の社長等々から、ひっきりなしにお祝いの電話が鳴り響いた。坂本にとってはうれしい悲鳴でもあり、悪い気はしなかった。
 坂本は中井から10月頃、「来期から、君に社長をやってもらう」と言われていた。坂本は小躍りせんばかりに喜び、腹心の部下にその喜びを漏らしてしまった。
 “人の口に戸は立てられない”の例え通り、秘密は漏れ始め、社内では「坂本が社長になる」という噂が盛んに飛び交うようになっていた。
 ところが、坂本には人望がなかった。統括本部長に就任する前のポストであった名古屋での営業所長、営業本部長時代の行状をめぐって、黒い噂がどっと噴き出してきたのである。
 それは中井社長宛ての投書であったり、筆頭株主である山水工業宛てであったり、山水建設のメインバンク三川銀行宛てであったりした。
 「数社の仕入先からバックマージンをもらっている」という内容が多かった。中井はそんな投書内容をにわかに信じることができなかった。中井自身、いまいち自信がなかった営業部門のことに関しては、全て坂本に任せておけばよかった。全面的な信頼を寄せていたのである。
 しかし、おびただしい投書が中井の元に殺到していた。
 さすがの中井も心配になってきた。信頼していた部下がこんなことをするだろうか、と信じられない心境であった。投書がさらに続いていた。特に名古屋からの投書が多かった。

(つづく)

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