ちょうどこのころ、バブル不況で都心の地価・家賃が下がっていたこともあり、首都圏への出店コストが大幅に低下し出店しやすい状況が生まれていた。ただし、それは競合他社にとっても同じで、ヨドバシカメラが大阪・梅田に、ビックカメラも大阪・難波や東京・有楽町の旧そごう跡に出店していた。
一方のベスト電器は、2001年9月14日に首都圏旗艦店となる東京・新宿高島屋店を開店。業界関係者に「東京進出の象徴」と言わしめる、売場面積約3,700平方メートルを誇る店舗を構えたことで攻勢に転じたかに見えた。しかし、結局は高島屋店も2009年8月末、国内有数の激戦区で苦戦を強いられていたため、またビックカメラの持分法適用会社となっていたことで競合を避けるために閉店した。
そのビックカメラの天神進出を許してしまったのも、ベストにとっては大きな痛手だった。福岡の中心地である天神にある西鉄天神駅の南側への移動と線路高架化に伴う高架下の出店を打診されたベストは、福岡本店が近隣にあることから断念。99年4月、ビックカメラがその用地に進出した。
ビックカメラ天神1号店は、出店と同時に千客万来。駅近という利便性に加えて若者の必需品となっていたパソコン関係に的を絞ったこともあって、一瞬にしてベスト福岡本店を凌駕した。天神の商圏が南下しつつありベストは東側に取り残されてしまい、マーケティング力の絶対的不足が露呈してしまった。
これは「天神家電戦争」とも呼ばれたが、その煽りをくってデンキのカホ天神店(ホームセンター「グッデイ」を展開する福岡県那珂川町の(株)嘉穂無線の事業部を独立させたもの)とジークス天神も苦境に立たされた。当時の様子を当社発行誌でこう伝えている。
『本拠地に殴り込みをかけられた格好になったベスト電器本店は予想以上の苦戦を強いられたようだ。彼らもまさかここまで苦戦するとは想像だにしていなかったに違いない。一言で表するなら惨憺たる有り様。とにかく日・祝日でも平日程度の客足しかなくなったのだから、その激減ぶりは目を覆いたくなるほどだ。そのため同店は今夏以降ほぼ毎月売り出しを行なっている。ところが以前なら売り出し日の朝は買い物客が列をなしていたが、今はそうした光景もほとんど見られない』(99年12月27日号)
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【大根田 康介】
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