野口 孫子
権力掌握への執念 (3)
坂本は、いつも「お山の大将」でいなければ済まないタイプになっていた。先輩の営業本部長から、あれこれ指図されるのを嫌っていた。たった数名の陣容であった時から名古屋に配属され、やがて500名を超える組織の長として君臨し、ちやほやされる身分である。この頃から、坂本のなかで眠っていた権力志向が、次第に培われていった。
渡部・中井の勢力が拮抗するなか、300人が集まる全国幹部会の会議の最中にも、中井は事あるごとに渡部に対する敵意をむき出しにした。渡部会長のあいさつ中に、「黙れ! そんなことは関係ない!」とヤジを飛ばすほど、感情的なものになっていた。幹部たちの中には眉をひそめる者が多かったが、どちらについたものかと旗色を鮮明にできないでいた。会社内の抗争は、じわじわと経営上の数字に影響をおよぼし始めていた。
そんなとき、いよいよ雌雄を決する舞台が来た。
3月の決算取締役会で、突然、関西地区営業本部長の佐々木常務が何人かと目配せしながら、
「中井社長の解任動議を提案します」
突然に叫び、勢いよく立ち上がった。
それを待ち構えていたように、反中井の役員が一斉に「そうだ!」と叫んだ。
中井の隣に座っていた渡部は一言も発せず、黙ってその様子を見つめていた。しかし、反中井派は中立派を完全に取り込んでいなかったうえ、反中井派のなかには冷徹で緻密な計算力を持つ指導者がいなかった。
そんな事情を知っていた中井は落ち着いていた。
「私の解任に同意する方は、挙手してください」
まるで他人事のように事務的な口調で決を求めた。
本社や工場関係の役員の中には、中井のいる前で、造反してまで社長交代という荒鐐治を望んでいる者はいなかった。
社外役員は中井の要請で任命されていたので、その状況を半ばあきれながら傍観していた。もちろん、中井体制への造反劇には反対であった。
社長解任に賛成の挙手は過半数に達せず、動議は否決され、反中井派によるクーデターは失敗に終わった。これを機に、渡部会長一派は完全な敗北への道を歩むことになる。中井の勝因は、社長の絶大な権力にあった。
末席役員の坂本は、事件後の推移をしっかりと見ていた。人事権を行使しながら一本釣りされれば、中立派はひとたまりもなかった。
数か月後、取締役の改選があり、渡部会長の退任と、渡部会長が拠点とする東京地区の役員および営業系の造反役員の退任が発表された。徹底した報復人事が実行されたわけだ。
一方では密約通りに、坂本が常務取締役営業統括本部長に任命された。
「営業は君に任せた」
中井は坂本の手を握りながら言った。
「ご期待に応えるよう務めさせていただきます。お任せください」
そんな中井に応える格好を見せながら、「自分にも運が向いてきたなあ」と坂本は心のなかで呟いていた。しかし、自分の勢力下に属する各地区の営業本部長人事については、まだ、中井の意向に配慮せざるを得ない力関係だった。
そんな折、神戸を未曾有の大震災が襲ったのである。
(つづく)