経営者、とくに実権を持っている会長の、または社長の器の大きさでその会社の「品格」が決まる。最近、政界を賑わせている政治献金偽装記載の問題も、最高実力者の小沢氏は「法に触れることは何もしていない」という。法に触れなければ、疑惑はあろうとなかろうと白、ということだろう。
しかし、政治家も会社のトップも、法を守るのは「最低限」のことなのだ。あたかも、法を犯さなければ何をやってもいい、という論法になってしまう。自分自身の心の良心に従い、何の迷いもなく、他から指弾を受けることなく、疑問の余地なく生きること。つまり、「自らの心に愧じることがない」ことが要求される。
「世のため、いいことをする」、「政治、仕事を通じて社会に貢献する」という精神があれば、当然、法はかいくぐる。倫理上、怪しげなことはしないはずである。
もし、この観点を欠くようであれば、たとえ法に触れずとも、「倫理観がない」と断罪せねばならないと言わざるを得ない。
政界のトップ、大企業のトップは、真のエリートとして、文学、哲学、芸術、音楽など何の役にも立たない教養をたっぷり持ち、我々より圧倒的な大局観と判断力を持っているべきである。そのような人には、賄賂や汚職、地位を利用した蓄財などはあり得ない。
人は権力を握ると、何でも好きなことができると錯覚し、部下に人事異動、降格の恐怖を与えて権力を振りかざしてしまう傾向がある。社長の提案事項には役員から反対意見も出ず、新規に投資を開始し、間もなく見込み違いが発覚しても、早く処理すれば軽微の損失で済んだのが、社長には報告されない。部下は何とか取り繕おうとするが、やがて社長の耳に入るには、さらに損失が増えている。
「ワンマン」の弊害の典型である。
ワンマンが余程品格の高い指導者でない限り、組織はやがて、「取り巻き」により腐敗へ向かう。このことは伊藤忠の丹羽会長が指摘されていた。
「どんなに気をつけていても、社長になって1年目から腐敗は始まる」
和田氏は社長10年、会長CEO2年、実権を持ったまま12年以上君臨している。
とすれば、組織は腐敗が進み、活性化が見られず、徐々に衰退へと向かってるのではないだろうか――と危惧している。
【野口 孫子】
※この連載は積水ハウスに対してエールを送るものであり、誹謗中傷を目的とするものではありません。
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