野口 孫子
確執 (2)
会長の中井は代表権を持ちながらも、社長を辞めさせるための決定的な手段を有していなかった。すでに、役員の半数以上は、坂本の息のかかった役員で占められている。中井が切ることのできるカードは、ほとんどない状況にあった。
そのようなときに、中井は国の機関である建設協会会長としての活躍と貢献、関西財界での副会長としての活躍を認められ、勲一等瑞宝章を受けることとなった。これは、会社としても大変名誉なことである。
坂本はこの受章を、「中井引退の花道にしよう」と考え、中井に対し、しきりに勇退を促すようになった。しかし中井には、花道論に乗る意思はなかった。
そのころ、業界2位の日本建設の業績が、山水建設を上回ることがはっきりしてきた。30年も業界をリードしてきた山水が、先達とはいえ、日本建設にリーダーの座を譲り渡すのである。中井は、「先輩の山田に申し訳ない」という思いでいっぱいになった。
中井はこの機会に責任をとろうと考えた。けじめをつけるという意味合いで、引退を決意したのである。
しかし、「現下の社長である坂本の責任が最も大きい」と判断していたので、坂本に、
「山水の業績も悪い。遂に、トップの座を日本建設に奪われてしまった。先代の山田さんが営々と築いてきた輝かしい歴史を汚すことになった。これはひとえに君の責任だ。自分はこれを機に辞めるつもりだ。君も責任をとり、辞めてくれ」
と話した。ストレートに話して、一気に決着をつけるつもりだった。
坂本は自分に飛び火するとは思っていなかったため、少なからず驚いた。しかし、もちろんのことながら、しぶとい坂本に辞めるつもりなど毛頭ない。
一瞬たじろぎながらも、
「日本建設には一時的に抜かれただけで、必ずトップは取り戻します。会社を赤字にしたわけではありません。経常利益はわが社の方が上です。私は辞めるつもりはありません。お辞めになるのなら、会長おひとりでそうなさってください」
と言ってのけたのである。
(つづく)