野口 孫子
独裁 (4)
長い不況で、山水建設も苦戦を強いられていた。
その最中、業界ナンバーワンになった日本建設は、上場子会社を吸収合併して売上をさらに伸ばしたので、山水建設は数字の上で、日本建設に大きく水をあけられてしまった。
坂本は、こうした事態に対抗するため、傘下にある「山水不動産6社」を、完全子会社化したのである。
坂本は、このときもいつものように、一方的に決めてしまった。
山水不動産は、仙台を除いた東京、名古屋、大阪、広島、福岡の5社が、それぞれ東証2部、大証2部、ジャスダックに上場している、超優良企業ぞろいであった。
坂本の独断専行によって突然「山水不動産5社の上場廃止」が決定されたのである。
創業社長・山田の在任中は、建設業に加え、不動産関係の仕事が絡むことが多く、「やれることは、外注せずに自前でやろう」ということで、不動産専門の会社を立ち上げたのである。先見の明のある山田が、将来を見越して打った布石でもあった。
上場するまでの山水不動産の社員は全員、親会社からの出向によって構成されていた。しかし、自らの意思で出向した社員はごくわずかであった。大半は、青雲の志をもって移籍したわけではなく、「左遷された」との思いをひきずってきた社員達だったのである。
ところが、悔しさが力となり、皆で「上場しよう」との目標をもって必死に頑張った結果、無借金経営の超優良企業となり、念願の上場を果たしたのであった。上場すると、株価の動きによって、市場が自分の会社をどのように評価しているかが、わかるようになる。こうなると、社員の愛社精神、モチベーションが違ってくる。
株価が高い水準を維持し続けたことにより、山水不動産の社員には、愛社精神を核とした、プライドが生まれていた。
「何で、完全子会社にする必要があるのか?」「何で上場廃止なのか!」「坂本社長の保身のためにやっているとしか思えない!!」という不満の声が、あちこちから上がった。
結局、山水不動産各社の社長は、人事権を坂本に握られていることから、誰一人として、面と向かって反対することができなかった。
首根っこを握られていては、とてもではないが、抵抗することはできない。今日までに築いてきた、サラリーマンとしての地位をなくしてまで、反対することはできなかったのである。
ここでも、独裁者坂本の強権が実行されてしまったのであった。
(つづく)