野口 孫子
バブルの再来 (1)
子会社を吸収しても、本業の建設部門の低迷が続き、山水建設全体の業績は伸び悩んでいた。日本建設の後塵を拝する状況が長く続けば、「自分の身も危ないのではないか」と、坂本は危惧していた。
そうしたとき、日本経済は長いトンネルから抜け出そうとしていた。
銀行による不良債権処理が終わったことから、株価も値上がりし始めていた。
アメリカを中心とした世界経済も、活況を呈し始めていた。
このような状況下で、建設への投資も再び活況を呈し始めた。値下がりをつづけていた地価が、大都市を中心に、値上がりに転じ始めたのである。
半値以下まで値下がりした地価や株に、外国からの投資が大量に入り始めていた。
ある日、開発事業担当の常務中村が、坂本のところへ相談にやってきた。
「社長、こんな情報が来ています。東京・赤坂のホテル跡地が売りに出されており、アメリカの投資会社がそこにホテル・オフィス・商業テナントからなる複合ビルを建てて、共同経営するか一括買い取りにすることを、考えているというのです。総予算は800億円かかりそうです」
巨額の商談なので坂本は慎重であった。しかし中村が「成功すれば、この事業は大きくすることができます。今、東京・大阪・名古屋では、外資が不動産の投資先を探しています」と言うので、許可することにした。売り先がアメリカの投資会社ということになるので不安はあったが、「ホテル跡地を購入する方向で、話を進めよ」と指示した。
この話はとんとん拍子に進み、成功裏に事が運んだのであった。
折しも、日本経済が活況を取り戻しつつあった時である。本業の業績も伸び始めていた。
坂本は強運の持ち主なのだろう。「不景気が長引いていれば、業績不振の責任を取って、やめざるを得ないところだった」とホッと胸をなでおろした。
本業の業績回復と不動産事業の業績アップに加え、開発事業の業績を向上させたことが、坂本の新たな功績として数字に現れ始めていた。
この頃、財務内容も素晴らしく改善されており、「無借金会社になろう」という目標が達成されそうな状況になっていた。実現されれば、創業以来初のことである。
坂本の完全復活である。
(つづく)