積水ハウスの凋落の火種は、和田勇社長(現会長)の就任から始まっている。
大和団地(株)・樋口武男社長(現・大和ハウス工業会長)が、親会社であるの大和ハウスの社長に抜擢されたのは2001(平成13)年。時あたかも、積水ハウス・和田社長就任と同じ時期であった。
樋口氏は、創業者・石橋信夫氏を「経営の師」、「人生の師」と仰いできた。
しかし和田氏は、積水ハウスを30年にわたって業界トップの座り続けさせた中興の祖・田鍋氏を、決して「師」とは思ってないふしがある。
歴史を無視する会社は伝統も何もなく、アイデンティティすらなくなってしまう。どこの企業の社長も、ある意味で「ワンマン」である。経営をゆだねられたのだから、ある程度は自分のやりやすいようにすることもやむを得ないだろう。
しかしその根底で、経営者として真摯に会社に全力を尽くそうとしているか――いや、そうでなく、どれほどの権力を振りかざして、自分の好きなことをやろうとしているのか、社員たちはそれを見ている。
樋口社長就任当時の大和ハウスは、役員も社員もぬるま湯につかり、みんなが仕事をするフリをし、上役だけを見て仕事をする「ヒラメ社員」が繁殖――「大組織病」にかかっていたのだった。そこで樋口氏は、湯を「ぬるま湯」から「熱湯」にした。
役員の1年任期制、ダメ役員は1年で交代。事業部制から支店長制とし、支店に全権限を与えた。赤字支店長はボーナスゼロ。人事制度拡充、社内FA、支店長の公募でやる気のある社員の引き上げ……などなど、徹底的に「熱湯」改革を断行した。
ぬるま湯に慣れ親しんだ社員たちには辛かったことであろう。しかし、それに耐えたものが、そこから「やる気」に変わっていった。そのお陰で大和ハウス工業は「業界トップの座につけた」と、樋口氏は著書で述懐している。
それに比べて、である。
積水ハウスの和田社長(現会長)は、中興の祖である田鍋元社長や奥井元社長の築いた「人間愛に基づいた家族的経営」、「全社員経営の参画者」という経営哲学を無視。自分に権力が集中するよう情実人事を重ね、和田色の強い組織体制にしていった。
それは即ち、積水ハウスのもっとも優れた部分を破壊した、ということでもある。
心ある社員は離反し、ヒラメ社員が登用されるようになっていった。和田社長の登場で、積水ハウス内部の士気が、徐々に崩壊していった、と言っても過言ではなかろう。
現に、和田社長就任4年で、大和ハウスにトップの座を奪われてしまっている。この事実、経営者の差がなせることではないだろうか。
【野口 孫子】
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