先に述べたように、09年の新設住宅着工戸数が80万戸を下回った。これは45年前の数字とのこと。まだ積水ハウスを含め、プレハブ住宅各社の黎明期の時代の数字である。
未曾有の住宅需要の低迷のなか、積水ハウスの最大のライバル会社・大和ハウスは「当初計画より上方修正する」と発表している。全社一丸となって、この危機を乗り越えようと努力された結果だろう。
積水ハウスは10年前までは、戸建住宅では圧倒的な強さを誇っていた。低層の集合住宅も同様であった。それが今や、戸建では新興で低価格路線のタマホームに負け、一部地方では、後発で積水ハウスの親会社・積水化学の「セキスイハイム」にも後塵を拝している。
タマホームや積水ハイムにとって、積水ハウスは『雲の上の存在』として見ていたのが、いつの間にか手の届くところに来ていることを知り、俄然、勇気と希望を持って士気を高め始めている。
ある地域のセキスイハイムでは、積水ハウスの住宅着工数で抜いたとして、地域の全社員に御祝儀が配られたと聞いている。それほど彼らにとっては大きな「偉業」であり、士気高揚に沸き立っているのである。
低層集合住宅も、後発の大東建託に負け始めている。
総合売上では大和ハウスにトップの座を明け渡し、戸建、低層集合住宅も前述の企業に負けはじめた。かつてすべての分野でナンバーワンであった勢いはもはやなく、ジワリジワリと、市場の評価は下がっているのであろう。
企業がトップを取ることは、市場から、顧客から、信認を受けている証である。
積水ハウスの「本業」である請負住宅の低迷は今に始まったわけではなく、和田社長(現会長)就任のころから、その兆候は出ていた。
そんななか、本業の先行きの不透明さに不安を覚えていたのだろうか、世界の不動産投機バブルに踊らされてしまった。ジェームズ・C・コリンズが言うように、衰退する企業の典型を歩み始めている。
成功体験によるおごり、規律なき膨張、リスクと危うさの否認、ひたすら救世主にすがる。本業の不振を開発事業にすがり、企画提案すれば外資が飛びつき、大きく売り上げを増やしていた。
土地の仕入れにも規律がなくなり、相場より高く購入していたのではないだろうか。一時は、開発事業が収益の柱になっていた。
【野口 孫子】
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