住宅産業が日本の市場に登場して、50有余年。登場した当時は、世界に類を見ない全く新しい産業だった。そのため先進諸国に学ぶべき企業もなく、まるで大海原を羅針盤のなしで航海するようなものであった。
先発の大和ハウスが物置の販売から発展して住宅へと一歩を踏み始めた頃、後を追うように積水化学工業が、当時もてはやされていたプラスチックを家に応用できないかという夢を追って、住宅事業部を発足させた。そして試行錯誤のなかで、住宅事業部を別会社として「積水ハウス産業」を設立し、本格的に住宅だけで生きることになったのが1960(昭和35年)であった。
以来、親会社のお荷物扱いされて廃業も検討されたが、1963(昭和38年)、中興の祖と言われる田鍋社長の登場によって、2年後には黒字化するのである。
田鍋氏は、「和気あいあい」、「全員運命共同体」という精神で社内を盛り上げ、ついに1973(昭和48年)に積水ハウスは業界ナンバー1になるのである。
以来30年間にわたり、業界のナンバー1リーダーとして君臨してきた。その輝かしい伝統と誇りは、今でも社員には脈々と生き続けている。
だが、田鍋氏が亡くなった後、求心力がなくなったせいもあろうか、日本経済が低迷している間に、再び先発の大和ハウスにナンバー1の座を譲ってしまった。
しかし、かつて世界を制覇していたイギリスのように、斜陽と言われても積水ハウスは隠然たる潜在力を失ってはいない。とくに、ブランドイメージはまだ失ってはいない。
問題は、経営トップの権力志向の強さが、積水ハウスの自由闊達な風土を阻害しているということだろう。
時代が変わって、住宅の価値も「成功のシンボル」――「ステータス」だった頃とは変わってきている。マーケティングにしても、購買層が若年化していることを考えると、単に高級志向を打ち出すだけでいいのだろうか。若者の自由な意見がきちんと反映されているのか、社内でもっと英知を絞るべきではないのだろうか。
会長の過去の成功体験だけを根拠に、変化の激しい市場を語らせてはいけない。
中興の祖である田鍋氏は、今の会長や社長がまだ若い頃、若い彼らを信頼し、権限を全面委譲して地域の市場は任せてきた。そのおかげで彼らも成長し、今日の地位を得ていることを忘れてはならない。
【野口 孫子】
※この連載は積水ハウスに対してエールを送るものであり、誹謗中傷を目的とするものではありません。
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