野口 孫子
権力の全盛期 (1)
坂本体制は確固たるものとなっていた。役員会、営業本部長会といった社内の中枢で行なわれる会議は、坂本の独壇場であった。坂本は、事あるごとに皆の前で「中村専務はよくやっている。会社の業績向上は、中村専務の功績によるところ大である」と公言していた。坂本と中村の蜜月関係が最高潮の時である。
この功績により、中村はたった1期で副社長に就任するという、異例の昇格を果たしたのであった。
中村は絶頂のときを迎えていた。
しかしながら、過去の例が示すように、坂本は人を利用するだけ利用しておいて、必要がなくなるとポイ捨てする男だった。このことは中村も知ってはいたのだが、「まさか、自分がそうなる」とは思っていなかった。中村は後で思い知ることになるのだが、坂本はあくまでも冷徹な男であり、なにか不都合があると自らは責任逃れをし、その責任を部下に押し付けるのが常なのである。
例え坂本の子飼いであっても、例外はない。名古屋人脈に属し、営業本部長や取締役にまで取り立ててもらっていても、坂本の意に反することがあれば、更迭が待っているのであった。
坂本とは親しい間柄のつもりで、つい気を許し、坂本の気にそぐわないことを言ってしまったばかりに、飛ばされてしまうといったこともあった。
坂本は「絶対権力者」になっていたのである。
人事担当の黒田副社長は「本業部門が低迷しているのは、組織を閉塞感が覆っているからだ」と判断し、思い切って「職責者の定年制導入」を決め、発表した。組織に胡坐をかいている職責者の様子を、近くで見ている社員は見透かしているものだ。ために、ゴマすりが幅を利かしており、組織が沈滞化していた。職責者の定年制を導入することで組織の若返りを図り、会社を活性化しようと考えたのである。
しかし改革には、必ず守旧派の存在が伴うものだ。各本部長からは「この支店長は外せない。例外を認めてほしい」との要請が寄せられたのであった。ゴマをすられているため、無下に見捨てることもできず、部下を擁護しようとの心情が働いたのである。
そうした状況を聞いた坂本は、「人によって判断する。例外の者の名前を登録せよ」との結論を出した。
長期的見地から人事の改革を目論むものであった黒田案だが、坂本の鶴の一声により、実施段階で完全に骨抜きにされてしまった。
(つづく)