野口 孫子
権力の全盛期 (2)
黒田には忸怩たるものがあったが、抵抗することはできない。「職責者の定年制」導入は、人事部内で練りに練って提案したことだった。それが「鶴の一声」で骨抜きになったのである。その時、黒田は「いずれ『職責者の定年制』の運用自体ができなくなるだろう」と思った。例外を作れば、例外の基準が曖昧であるため、結局は、社長に対するゴマすりがうまい者だけが例外扱いされることになる。ゴマすりのうまいものが役職に居続けることになるのは、明白であった。
黒田は自らの不満を、あらわな態度で示すようになった。黒田と坂本の間には、もともと微かな亀裂が入っていた。
さかのぼること2年。人事昇格会議で、坂本が突然「営業店長のなかでも、トップの成績をあげている松田と西村、そして秘書部長の井口を理事にする」と言い出した。3人はまだ40代の半ば過ぎでしかなく、いずれも1年か2年前に、部長待遇の地位に昇格したばかりだった。
このときの処遇は、山水建設の歴史始まって以来のことで、彼らを一挙に2階級あるいは3階級特進させたのであった。
黒田は当然、人事におけるバランスの観点から考えて、特進に抵抗したが、坂本の「若い優秀な社員を登用して、夢を与えるべきだ」という強い口調に、押し切られてしまっていた。
黒田にとり、この人事はまさに寝耳に水であった。「組織があってもなきに等しい」。黒田はそう言って嘆いた。
人事が発表されると当然のごとく、社内のあちこちからブーイングが噴き出した。特にあっという間に後輩に追い越されてしまった元上司たちは、サラリーマンの悲哀を感じるよりほかなかった。元部下は、はるかかなたの偉い人になってしまったのである。
人事に公平性がなくなってしまったのでは、組織は成り立たない。
2万人の大組織を私物化したのだともいえる坂本の人事政策に、社員は辟易していた。そうした苦い思い出もあることから、今度のことがあってから黒田は、「坂本とは長いこと一緒に仕事することはできないなぁ」と思うようになっていた。
会社ほど非民主的な集団はない。政治であれば、選挙によって選ばれた代議士が、多数決で決める。しかし企業では社長が決める。たとえ役員会が反対しようと、社長の「やれ」の一言で事が決まってしまうのである。
社長はこうした万能の権力を持っているのだから、高い知性と倫理観、そして公平性を持っていなければならない。万能の権力をもっているからといって、会社を私物化してしまうようでは、社長失格と言わざるをえない。社長は常に、「人間としてのあり方」を問われているのだ。
しかし、取り巻きのゴマすりは、保身のためでしかない。だから、褒めることはあっても、けなすことはない。
坂本はますます鼻を高くしていった。
(つづく)