野口 孫子
権力の全盛期 (6)
大都市を中心に数々の開発事業プロジェクトが大成功していた。
外国の投機資金、株の高騰でひと儲けした、ホリエモンのような人たちの投機資金が不動産に流れ込んでいたのだ。
都心の採算性のいい物件を企画して売り出せば、建築中でも完売という状況を呈していた。
世間は不動産バブルの様相を呈していた。
山水建設も例外ではなく業績は拡大していた。
5ヶ年計画で2兆円の売り上げを目指す、という目標も達成可能と思わせるほどの勢いだった。
坂本は開発事業担当の中村専務を持ち上げ、役員会、幹部会などで事あるごとに「中村君のお陰で、わが社は持っている」とほめあげていた。
役員改選期に、専務一期で、中村を「副社長」に昇格させた。
中村は絶頂期を迎えていた。社内には、中村が次期「社長」という声が上がり始めていた。それほどの、坂本の信任が厚かった。
しかし、1980年代のバブル時代を経験していても、目の前の好調に惑わされ、バブルに踊らされていたことに、後で気がつくのである。
その絶頂時に、坂本は商法改正とともに「ストックオプション」を執行役員以上に実施したのである。ストックオプションは新株予約権を付与し、将来一定の価格で株式を取得できるのである。その権利を1口(1,000株)「1株1円」で割り当てたのである。
このことは、IR広報には出されているが、社員で理解している者は少なかった。
分かっている者は不公平感を強くして、坂本への信頼はまた地に落ちていた。
大義名分は役員の退職慰労金を抑えるため、経費節減のためと言っていた。
当時の株価1株は1,800円していたので180万円を1,000円で買わせたのである。
普通の会社なら、時価で買わせ「この制度で、儲けたいなら、経営者として、株価を上げるよう、経営努力せよ!」と時価で割り当てるのが常識である。
しかし、坂本は欲が深く、金には執着心が強いため、お手盛りで、役員会で決めてしまった。そのあとも年に2回程度、ストックオプションを継続している。
社長、取り巻きの役員だけへの「利益誘導型」の経営では、猛烈なスピードで変化している時代に対応できないこと。そうしたことが、強力なリーダーシップで「挙社一致」の体制を作るべきときに機能しないことに気づかずにいた。まさに欲に目がくらんだ結果である。
(つづく)