野口 孫子
開発事業の破綻 (1)
坂本体制になって、山水建設は「何を手にし、何をなくしたのだろうか」。過去のよき伝統の上にあぐらをかき、遺産を食い尽くしているだけである。
「良質の社員、意欲の高い社員、洗練された営業力、設計力の高い技術、高品質な製品と工事」は今でも業界一である。
しかし、社員の愛社精神もモチベーションも、現坂本体制の権力志向のもとでは持続不可能になりつつある。このことが大きな問題なのである。
経営が好調のときは表に出ないが、経営が不調になれば、弱点が表に出るものだ。
折しも、時代は「サブプライムローン」という聞いたこともない言葉で世界経済は嵐の中に突入しようとしていた。
世界中が金余りで、「株式、債券市場で儲けがない」とわかれば、不動産、原油、食糧までもが投機の対象になっていた。
原油は日々高値を更新し、不動産ブームは東京ばかりでなく、ドバイ、ロンドン、モスクワなど世界中で沸騰していた。どこの都市もビル建設ラッシュであった。
設計段階から外資の買いが入り、建築中に、30%アップで売り飛ばすような事態も起きていた。投機が投機を呼んでいたのだ。
そのような背景で、山水の開発事業は土地の仕入れがうまくいけば、飛ぶように売れていた。
しかしながら、異常な事態は長続きしないのことは、歴史が証明している。
人間、強欲だから歴史のことは忘れてしまうらしい。
「サブプライムローン」の問題が発生したとき、「日本の銀行へはほとんど影響ないだろう」と、たかをくくっていた。しかし、日本に不動産投資をしていたアメリカを中心とした投資銀行が、一気に東京、大阪から資金を引き揚げ始めたのである。
そのため、活況を呈していた不動産市況も一気に値下がり始めたのである。
山水建設の中村副社長はつい数か月前に、東京港区や大阪御堂筋沿いで、市場価格の数10%増しで土地を購入していた。そのほか、名古屋など地方都市の中心地にも土地を購入していた。
予期せぬ、急激な地価下落の動きであった。
山水建設は、開発計画の練り直しを余儀なくせざるを得なくなっていた。
(つづく)