野口 孫子
社長交代 (2)
今期の決算が、かなり無理をしないと経営数字の達成が難しくなってきた。また今期を無理矢理に乗り越えたにしても、来期の見込みは全く立たないことがはっきりしてきた。
株主総会が、あと半年と迫った時期のある日、坂本は斉藤を社長室に呼び
「今度の株主総会で、君を社長に推す」
と正式に内示した。8人抜きの大抜擢人事だった。
斉藤は実直で、人に対する配慮、思いやりのある人だった。しかし斉藤は、大企業の社長としては坂本同様、内弁慶で、社内では威張り散らかしていられるが対外的には出来ない。そうそうたる財界のお歴々たちと伍していくには品性、教養、人脈等で力量不足と言わざるをえなかった。
自分より格下の斉藤を指名したものの、坂本は心の隅に心配を残していた。おとなしく、自分に忠実で、従順な斉藤が「いざ権力をもつと変身しないか」と不安に思っていた。坂本は社長の権力の大きさをよく知っていた。かつて、自分が中井にしたように、不安がよぎるのであった。
坂本の本音は、社長を続け、権力を維持したいと思っていた。
しかし、業績が落ち込むことは明らかで、悪くなって辞めれば、責任を取らされ会長どころか、引責辞任に追い込まれる恐れあると、早めの会長就任の決断だった。
何とか院政を敷いて、今までと変わらず、権力をほしいままにしたいというのが望みだった。
そんな折、商法改正で、アメリカ流の執行役としての、CEO(最高経営責任者)、COO(最高執行責任者)とすれば、現状が維持できるとコンサルタントからアドバイスを受けた。
日本では会長がCEO、社長がCOOとなるケースが多く、実質は変わりないことが多かった。
こうして、坂本が従来と変わりなく、経営全部を握り、特に人事権を握ったまま、会長CEOに就任したのである。坂本は土地がらみがある開発事業を担当、斉藤は既存の事業、不動産事業を担当した。
斉藤は手も足も縛られ、打つ手もなく、斉藤色を出せない、雇われマダム状況になってしまった。
(つづく)