<忍び寄る影>
東京事務所も軌道に乗り、いつしか東京支社になっていた。事業の柱の1つを担うにふさわしいほどの成長をみせ、売上の1/3強を占めるにまで至っていたのだ。攻勢は続き、最高株価をつけた2005年に名古屋営業所と大阪営業所を、翌2006年に鹿児島営業所を、2007年には札幌営業所を出店する。
物件も大型から小型まで様々に受注し、毎月のように竣工を迎えるようになっていた。マンションのみならず、ホテル、オフィスビルなどの商業施設も次々とつくり、そして納めていった。株式公開当時、95億円だった売上高も、2005年3月期には202億円、2006年には224億円、2007年には260億円、2008年には268億円と下がることを知らなかった。順風を帆いっぱいに受けて成長を続けている。人々は羨望、嫉妬などさまざまに入り混じった感情をはらみつつ成長企業の盟主として黒木を見ていた。
黒木自身もセミナーや講演会など、数多くの会合に呼ばれるようになり、株式公開のメリットやデメリットなどを語った。黒木はベンチャー企業のリーダーで、成功を収めた立派な経営者、少なくとも周囲はそう見ていた。
ところが黒木は風向きが少しずつ変わっていっているのを肌で感じていた。何が違うのかははっきりと言うことができないが、何かが違う。仕事は順調そのものだった。受注もしっかりと取れている。経常利益も2008年には15億円を記録した。けれども黒木は違和感を覚えていたのだ。
市場という大きな海原には魑魅魍魎(ちみもうりょう)が潜んでいる。天使もいれば、悪魔もいる。いいときもあれば悪いときもある。黒木の目には、言い知れぬ不安がつきまとうようになっていた。好調だったアメリカ経済にかげりが見え始めていた。低信用者向けの住宅ローン、「サブプライムローン」が破たんしかかっているという報道がちらほら見え始めた。
これまでとは違う、とても大きなうねりが黒木を飲み込もうとしている。黒木は持ち前の精神力でこれを抑えこもうと懸命に努力した。実際に、これまでも大小さまざまな波を乗りこなしてきたではないか。今回も同じはずだ。必ず乗り切れる。アメリカが不況になっても、日本まで伝播するとは限らない。活路はあるはず。まだ到来していない不況を読み、これくらいなら乗り切れると戦略を練っていた。けれども、結果として黒木の努力は大きすぎる荒波に打ち勝つことはできなかったのだ。
【柳 茂嘉】
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