<息子の結婚相談に幸せを感じる>
銀行は担保権留保を実行する。すると土地は暫定的に銀行のものになり、固定化されてしまう。それではプロジェクトに参加した、たとえばゼネコンや、その下請け企業らが多大な被害をこうむってしまう。何とかしなくてはならない。自分だけ悲劇の主人公を演じているわけにはいかないのだ。これまで支えてくれた人々にできる限りのことをしなくてはならない。黒木は法律の専門家の扉を叩いた。状況を説明する。銀行によって土地が押さえられている。このままでは多くの人に迷惑をかけかねない。どうしたらよいか。専門家は意外なことに、あっさりと解決策を次げた。
商事留置権である。被害が及ぶと考えられる関係者たちに商事留置権を主張させて、土地の権利を銀行だけに持っていかれないようにすることにしたのだ。ゼネコン、サブコンに迷惑をできるだけかけない。そして、連鎖倒産が1件も起こらないようにする。黒木は必死で知恵を巡らせた。
10月に入ると、破たんが現実のものとして迫ってきた。現預金は10億、9億、8億と目に見えてなくなっていく。インターネット上で様々な噂が出てきた。破たんは秒読みの段階に入った、来週には破産を申し立てるのではないか。どこから情報が出ているのかは定かではなかったが、当たらずとも遠からず、といった感の内容だった。黒木には、もうどうしようもない段階だった。ただ、関係者へのダメージをできる限り軽減する。ただそれだけだった。
家族には現状を一切話していなかった。何やら状況が悪いらしいことは空気で察していたようだが、ここまでになっているとは考えてもいなかった。10月下旬、黒木は長男からふたつの相談を受けた。ひとつ目の相談は就職についてであった。大学生の長男は「金融の世界を経験したい、それも福岡の地場で学びたい」と地銀への就職を希望していた。黒木は内心、申し訳ない気分でいっぱいだった。破たんすれば取引銀行に多大な迷惑がかかることになる。そして、それは息子の希望を叶えることができなくなるということを意味していた。顔色を保つので精一杯だった。黒木はただ、応援するという言葉だけ伝えた。
もうひとつは結婚したい女性がいるということだった。それも近々結婚したいのだと。とても幸せな相談だった。暗い気持ちが少しだけ晴れたような気がした。一瞬だけ会社のことを忘れることができた。家族には何も伝えていなかったからこそ、伸び伸びと人生を歩んでくれているのが感じられたのだ。11月、長男は入籍をしたい旨を伝え、黒木は喜んで了解した。
玄関を一歩外に踏み出せば、厳しい現実が相変わらず待ち構えていた。10月末、黒木は弁護士の扉を叩いた。
【柳 茂嘉】
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