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川内原発7人死傷事故を振り返る~川内原子力発電所の現実~(2)
社会
2010年4月21日 10:30

 九州電力川内原子力発電所の現実を検証していくにあたり、まずは今年1月に同原発で起きた事故についての記事を再掲載する。

九電川内原発7人死傷事故―許されない談合決着

 1月29日、九州電力川内原発1号機で7人が死傷した。原発では「大事故」にも関わらず、メディアの続報がない。ひたすら「調査中」しか繰り返さない九電は、一体何をしているのか。電力会社とは持ちつ持たれつの連合がバックアップするのが、「小鳩政権」。その「政治とカネ」にメディアの注目が集まっているのを幸いに、ツジツマ合わせに苦慮している姿が思い浮かぶ摩訶不思議な事故だ。

<「事故は隠せ」 電力会社長年の悪癖>

 どうしてこんなことが起きるのか。テレビ、新聞の第一報に接しても理解不能だったのが、今回の事故だ。「原発は安全」を謳い文句に原発建設を推進してきたのは国と電力会社。チェリノブイリ級超巨大惨事になりかねない重大事故は当然ながら、小さな事故も原発のイメージを悪くするというので握りつぶすのを当たり前としてきた。そこには本社員であろうが末端の下請け作業員であろうが、一個人に対する尊厳のかけらもなく、ともかくその場を糊塗するのを旨としてきたのが電力会社だ。
 とくに原発は「放射能=被曝」のイメージが強いため、電力会社は放射線被曝事故や周辺への放射能漏洩にはことさら神経を尖らす。しかし、原発という巨大システムは、放射能に直接関わりはないところにも重要施設や機材がヤマほどあり、それらが一体に運用されている。そんな場所や機材での事故や故障が原発中枢の原子炉やタービンに影響をおよぼし、重大事故になることもあり得る。したがって、放射能漏洩や被曝とは直接関係なくても、とにかく「事故は隠せ」が電力会社のいわば習い性になっている。
 そんな電力会社の体質も近年はわずかながら改善され、情報公開の重要性を理解してきたように見受けられたが、長年の悪癖はそう簡単に直るものではなかったようだ。ましてや、今回のような大事故は隠せるものではないだけに、注視すべきは今回の事故への九電および国の今後の対応だ。
九電川内原発 事故は1月29日早朝の午前7時過ぎに起きた。原子炉の運転を止めて行なわれる定検は、原子炉をはじめとするあらゆる機器の保守・点検を行なう。原発の点検作業は事前に予定されたものと、事故、トラブルで緊急に行なわれるものがある。後者は当然のことながら、今回のように事前に予定されていたものも、早く終えて運転再開したいのが電力会社の性。企業として生産性を上げるのはもとより、コストは「原発が安い」をアピールする国策にも沿うからだ。その結果、現場は大変だが、原発では徹夜作業も早朝作業も当たり前に行なわれている。
 事故そのものは、九電と協力企業の西日本プラント工業、西日本技術開発の作業員7人で、配電室にある配電機器の保守・点検を行なう際に発生した。配電室は、タービン建屋という原子炉建屋とは別棟の放射線管理区域外に設置されている。したがって、彼らの着衣は放射線防護服ではなく、通常の作業衣である。そして、配電設備の分電盤を点検するため、1人の作業員が電気を地中に逃がすアースを取り付けようとしたときに火花が発生。本人を含む3人が重症、4人が軽傷を負い、救急車で病院へ搬送された。しかし、重傷者のうち、アースを取り付けようとした西日本プラントの作業員はその日のうちに死亡した。

<追加情報がない「大事故」>

 原発での死傷事故は過去にたびたび起きているが、もっとも多い放射線被曝によるそれは、公式記録では極端に少ない。「原発は安全」を金科玉条とする国と電力会社は、被曝事故などあってはならないので、それらは握りつぶす。証拠の記録やデータの改ざんなどは電力会社の得意とするところで、それらの数値を盾に被曝との因果関係を否定するからだ。
 被曝以外の死傷は公式記録上もかなりあって、作業中の転落や熱水や火災による火傷、感電などさまざまだが、今回のように7人も同時に死傷するのは異例。原発内事故としては「大事故」である。しかも、発生したのは配電室という中枢施設だ。というのも原発は、心臓部の原子炉を中心に水系統や油圧など無数の配管、いわば血管が通っている。それらを正常に機能させるには、コンピュータ制御を含めた電気系統が不可欠。これまた血管類の一つとして、原発内各所に張りめぐらされている。その電気系統のいわば心臓部が、配電室だ。
 そんな中枢施設を保守・点検するのは、電気系統に通じたプロ集団であるべき。チームのトップは当然ながら九電社員で、ほかの6人も九電社員と同じ九電グループのしかるべき社員であり、「知識のない孫請け、ひ孫請けの作業員ではありません」(死亡者を出した西日本プラント)というのも当然だろう。それが大事故を起こす、あるいは起きてしまったのはなぜか。
 九電が発表した写真では、点検しようとした分電板がかなり焼けこげているが、死傷者について当初は「感電」としていたのも不可解。2月1日に、国の原子力安全委員会へ経産省原子力安全・保安院が報告したときも、「感電」である。火災と感電。一体何が起きたのか。事故当時の現場のイメージが湧かない。続報を注視していたが、九電からもメディアにもさらなる追加情報がない。

<地元軽視の電力会社 明かされない真相>

 九電に問い合わせしたのが事故後2週間以上経ち、全体像が見えておかしくない頃だが、同社広報部門の回答は基本的に「調査中」の繰り返し。2月16日に九電と協議会を開いた薩摩川内市側の、「作業マニュアルを出して欲しい」との要請を九電は断っている。出して何か不都合があるのか。地元をバカにするのも電力会社の悪癖だ。県も同様、本来なら電力会社には国と同等の影響力をもつ立場ながら、九電の報告待ちの姿勢は同じだ。
 それは国も同じである。電力会社のすべてを管理するのが経産省であり、原発はそのなかの原子力安全・保安院が管理する。そこには、電力会社から真っ先に報告が行く。2月22日に問い合わせをすると「本日発表」と言うので、それを見ると想定通りである。
 詳細は省くが、よくできた報告文だ。一言でいえば結論はまだ出していない。作業員個人のミスやチームとしての意志疎通の不備などに言及し、あくまでも「推定」という逃げの余地を残したものである。それが最終的にどんな結論に至るのか。少なくとも事故は捜査中ながら、死因は「熱傷」(薩摩川内警察署)すなわち火傷であり、搬送されるときの死傷者のうち死者は「90%火傷。靴しか残っていない状態」(薩摩川内消防局)であり、感電ではない。
 つまり事故のイメージとしては、火花を機に周辺で瞬時に超高熱火災が発生したということだ。専門家も、「このようなケースはきわめて希な現象」(関東電気保安協会員)と見ている。それが作業員個人に帰せられるのか、チームの監督者責任なのか。そんな個人よりも市に作業マニュアルを出さない九電の定検とは何か。

 事故は常に複合的な要因で起こる。死傷した作業員の着衣が純綿なら死亡しなくても済んだのに、化繊系が災いした可能性もある。それはコスト削減のためか。さらに、過労によるミスもある。それらも念頭に、今回の定検のなかで配電施設点検がどう位置付けられていたのか。九電の姿勢を知りたいもの。

 これだけの大事故。作業者たちだけに目を奪われていては、真相を見誤る。機材そのものの経年劣化も影響した可能性もあり、メーカーと電力会社のパワーバランス、そして国とのそれで「真相」はいかようにもなるのがこれまでの原子力行政。それを覆すのが地元の県市や警察の責任。それができなければ3号機の増設など論外。鹿児島や九州はもとより、日本に住む人間にはハタ迷惑というものだ。


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