九州電力川内原発死傷事故で気づいたのは、取材に対する同社の対応への違和感だ。簡単にいえば「奥歯にものがはさまった」ようで、率直さに欠ける印象を抱かせた。事実、事故原因と結果については未解明で謎がある。にもかかわらず、電気出力約160万キロワットという世界最大規模の3号機増設に邁進する同社の体質、社風はどんなものか。川内原発の地元を訪ねると、増設より先に解明されなければならない謎が多々見つかった。
<審議は尽くされたのか>
4月20日、川内原発の地元である鹿児島県の薩摩川内市で全国初の試みが行なわれた。原発をつくるためには、国(経済産業省)が地元住民を対象にした公聴会、いわゆる公開ヒアリングが行われるが、薩摩川内市議会の原子力発電所対策調査特別委員会は、国のそれに先立って「市独自の立場」(池脇重夫委員長)から公聴会を開いた。
目的は3号機増設について市議会に寄せられた賛否71通(反対36,賛成35)の陳情書を審査するため、住民や専門家の意見を聴こうというもの。公聴会は賛否双方を代表する2人の学識経験者が持論を展開、そして双方の市民各3人が公述人として意見陳述した。学識経験者は賛成派が財団法人・電力中央研究所(電中研)の中村政雄名誉顧問、反対派が京大原子炉実験所の小出裕章助教授。電中研は電力会社といわば足並みを揃えた組織であり、小出氏は放射線被曝研究に取り組む学者として知られた存在。一方、公述人は賛成側が男性2人、女性1人、反対が男性1人、女性2人。
午後6時から国際交流センターで行われた公聴会には、傍聴人として「約250人」(議会事務局)の市民が集まったが、「反対派が事故や環境への悪影響を危惧するのに対し、賛成派はもっぱら経済効果を重視。拍手は反対派へのそれが多かった」(傍聴した市民)という。公聴会から数日後、池脇委員長は「これまで委員会として十分審議してきたつもり」と早期の採決を示唆したが、26日に開かれた同委員会は賛成多数で早くも増設を認めてしまった。この結果は6月の市議会本会議にかけられ、地元としての賛否が正式に決まる。
地元の説得が第一の九電はホッと一息だろうが、果たして池脇委員長がいうように本当に審議は尽くされたのか。それというのも、川内原発は1号機が84年、2号機が85年に運転開始。稼働してから25~6年経つが、ここにきて不可解な現象や新たな疑問が生じているからだ。
(つづく)
恩田 勝亘【おんだ・かつのぶ】
1943年生まれ。67年より女性誌や雑誌のライター。71年より『週刊現代』記者として長年スクープを連発。2007年からはフリーに転じ、政治・経済・社会問題とテーマは幅広い。チェルノブイリ原子力発電所現地特派員レポートなどで健筆を振るっている。著書に『東京電力・帝国の暗黒』(七つ森書館)、『原発に子孫の命は売れない―舛倉隆と棚塩原発反対同盟23年の闘い』(七つ森書館)、『仏教の格言』(KKベストセラーズ)、『日本に君臨するもの』(主婦の友社―共著)など。
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