<本特集について>
2010年4月19日(月)、NetIB-NEWSは「激変時代の日本 地域自立の新ビジョン」シンポジウムをアクロス福岡にて開催しました。本記事では同シンポジウムのなかから新党大地代表・鈴木宗男氏による講演内容を一部抜粋して紹介します。
記憶に残る「鈴木宗男」
私が本物の鈴木宗男です。先ほど女性の司会者が私の経歴を紹介してくださいましたけれども、優しいですね。大事な経歴が抜けていますよ。「平成14年6月19日、逮捕される」―これが抜けていますね。私はこのことを堂々と言っております。国策捜査、権力闘争に巻き込まれました。政治資金は領収書を切ったお金です。しかも、OKを出したお金を後で賄賂だと言われたのですから、たまったものじゃありません。
もし、この手法でやられるなら、政治家はみんな捕まりますよ。領収書を切り、届け出もしているのに、4年も5年も経ってから「あれは賄賂だ」「あっせん収賄だ」とやられたら、たまったものじゃありません。このことだけは覚えておいてください。
今から8年前、「ムネオハウス」という言葉を覚えていますか。共産党の佐々木憲昭さんが「国後につくった『友好の家』は、『ムネオハウス』と呼ばれている」と。まず、ロシアでは英語を使いません。「ハウス」ではなく「ドゥマ」か「ダーチェ」でしょう。ロシア人は日本よりも教育レベルが高いですよ。英語を知っていても使わない。なぜなら、ロシア語に誇りを持っているから。これが日本との決定的な差なのです。
もうひとつ、皆さまのご記憶にある「疑惑の総合商社」と言った人がいましたね。辻元清美さんです。今や国土交通副大臣ですよ。その辻元さんが去年11月、外務委員会に呼ばれました。自民党の議員が辻元さんに、「あなたはかつて鈴木委員長に『疑惑の総合商社』などと言ったが、その認識に今も変わりはないか」と問うと、辻元さんは控えめに「裏付けのない話、さらに間違った情報で質問しました。私が鈴木委員長に『疑惑の総合商社』と発言したのは言い過ぎだったと思います」「今となっては反省しています」と謝られました。
正直に生きれば明日がある
これも今となって言える話ですけれども、8年前はメディアあるいは権力側は小泉純一郎ですから。私は抵抗勢力扱いでたまったものじゃなかったですね。しかし、私は正直に生きてきたという自負がありますから、かならず分かってくれる人がいると思っていました。だから、私は歯を食いしばって戦ってきました。おかげさまで、平成17年の郵政選挙で私は復活できました。
今日は若い方がおられますけれども、人生は自分の計算通りにはいきません。挫折や失望はついてまわるものです。しかし、人生諦めないでください。生きていれば逆転もあります。生きてさえいれば良いことがあるのです。これをぜひとも皆さんの頭に入れておいていただきたい。
「会社を潰した」―めげていてはいけません。「今度は潰れない会社をつくるぞ!」と立ち上がればいいんです。「リストラされた」―なら今度は「リストラされない会社に入るぞ!」という気持ちで頑張ればいいんです。意識改革、あるいは頭の切り替えが大事ですから、どうか皆さん、辛いときや苦しいときは鈴木宗男と比較してください。「鈴木に比べたら、まだ楽じゃないか」と思ってください。
私は自民党に所属し、約20年間、国会議員をやりました。自民党では出世コースというのがあります。それは、官房副長官もしくは自民党の総務局長をやることです。官房副長官というのは、内閣の要です。ここで役人との人脈ができます。役人の取りまとめは官房副長官がします。
とくに今は官邸主導ですから、官房副長官が極めて強い。私は小渕さんのときに官房副長官をしました。これだけでも、自民党にいれば出世コースなのです。私は総務局長もしました。
同じく両方したことがあるのは、小沢一郎先生です。これが2人とも自民党にいないものですから面白いですね。私も小沢さんも、自民党にいれば、また別の政治家人生があったと思いますよ。
とにもかくにも、正直に生きていれば明日がある。このメッセージだけは私が政治家である限り発信し続けて、失望や挫折にあえいでいる人たちに少しでも勇気や誇りを与えたいなと思っています。
【鈴木 宗男(すずき むねお)】
1948年、北海道・足寄町生まれ。拓殖大学卒業。衆議院議員・中川一郎の秘書としてスタートし、83年、衆議院議員選挙に初当選。その後、防衛政策次官、外務省政務次官、衆議院議員運営委員長、北海道・沖縄開発庁長官、内閣官房副長官、自由民主党副幹事長、同総務局長などを歴任。02年、斡旋収賄の容疑で逮捕され、03年保釈。05年9月の衆議院議員選挙で新党大地を旗揚げし、当選。09年9月、衆議院外務委員長に就任。
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