<本特集について>
2010年4月19日(月)、NetIB-NEWSは「激変時代の日本 地域自立の新ビジョン」シンポジウムをアクロス福岡にて開催しました。本記事では同シンポジウムのなかから福岡4区選出の衆議院議員・古賀敬章氏による講演内容を一部抜粋して紹介します。
私は、中川一郎先生の秘書を経て政治家になったのですが、息子である昭一氏とは大学の同級生でした。中川一郎先生が急逝をされ、長男の昭一氏が跡を継がれることになった際、私がサラリーマンを辞めて1年間選挙の手伝いをしたのが、この政治の世界に入ったきっかけであります。一郎氏は、政治家として50年に1度出るか出ないかの影響力を持った、本当の意味での大衆政治家であったと思っております。夏のある日、昭一氏と一緒にプロ野球のナイター中継を見ていたときのこと、一郎先生は「私は、この神宮球場を満員にする倍の数の10万票を超える投票をもらって政治家をさせてもらっている。実に男冥利に尽きる仕事だろう」と豪快に笑われました。「政治家とはそういうものか」と感じた次第です。
さて、政治と経済はまさに表裏一体であると言えます。政治がおかしくなれば、経済もおかしくなる。また、経済がおかしくなれば、政治もいびつなかたちとなっていく。そういった関係にあるのではないかと思っております。
昨年8月30日に、国民の意思で初めて、民主党が政権をとりました。細川政権誕生のときは中選挙区でしたし、今回のように国民が投票段階で、「誰に総理総裁をやってほしい」との思いで投票したのではありませんでした。しかし、今回小選挙区に変わって5回目の総選挙で、民主党が勝てば鳩山氏が総理に、自民党が勝てば麻生氏が総理との思いで、国民の皆さんは投票されました。初めて国民の意思で政権が変わったのです。これは、重要なことなのです。将来、我が国の歴史に残るような大変換を、国民によって成し遂げられたということだろうと思います。ただ、今はなかなか国民の大きな期待に応えられず、どんどん支持率が下がっていますが...。
自由民主党が50数年間、我が国の政治を担当してきました。自民党の政治は毎年人口や税収が増えているなかで、その増えた税金を選挙区にばら撒いて当選を繰り返すという体系でした。官僚企業や大企業、全国的な組織・団体に税金を流し、これらを豊かにして、そこで働く国民の生活レベルを上げていく。そういうやり方が、ある意味許されていたように思います。
しかし、今は2007年から人口が減り出し、税収が増える見込みもありません。根本的なバックグラウンドが変わったのです。これまで、自由民主党が合法的に行なっていた税金を吸い取る仕組みが、許されなくなってしまいました。そこで私たち民主党は、直接、国民の皆さんに直接税金を還元していく体制にしなければ、国民の生活は豊かにならないと判断し、子ども手当てや高速料金の見直し、高校の実質的無償化をやってきているのです。国民の皆さんが多少なりとも所得を増やし、自分の意思で使えるお金を増やさなければ、経済は回復しないと思います。
考えていただきたいのは、黒船が来てから明治維新となるまで15年、その後西郷隆盛が城山で自刃するまで実に10年かかっています。つまり、1つの大きな体制が変わったときには、やはりそれだけの時間がかかるということです。まだ、民主党政権になって7カ月です。この期間、我々が国民の皆さんの理解を得る努力が足りなかったことが、今の支持率低下につながっていると思います。
真実は何かについて、政治家はこういった会合などで伝える努力をしなければなりません。経済活動をされている方に正しい情報を伝え、経営者として誤りなき判断をしてもらわなければ、我が国の経済を再生する方法はないと思っております。
(おわり)
【古賀 敬章(こが たかあき)】
1953年生まれ。佐賀市出身。東京大学法学部卒業後、全日本空輸株式会社(全日空)に入社。1983年から衆議院議員・中川昭一氏の秘書を経て1987年に山口県議会議員に当選。1993年に第40回衆議院議員総選挙に旧山口1区から立候補し初当選。1996 年の第41回総選挙では新進党公認で山口4区から出馬するが安倍晋三に敗北し、その後、下関市長選挙、2001 年には自由党公認、2004年には民主党公認で参院選に比例区より出馬するが、いずれも落選。2009年8 月実施の第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で出馬、119,500票を獲得して国政復帰を果たした。
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