<ガリバーは母港へ帰る>
2008年、ディックスクロキの破たんは福岡財界に激震を走らせました。福岡の不動産業で初めて株式公開した同社は、地場業者に大きな勇気を与え、いつしか羨望のまとになっていました。増収増益を重ねていく様子は、はた目にもすさまじく、やり手社長として黒木透氏は講演会やセミナーなどで引っ張りだことなりました。その同社の破たんは、誰の耳にもショックだったと思います。取材させていただいた私も、破たんを知ったときは耳を疑ったものです。
黒木氏の盛衰は、大きな景気の波の乗り方に関係があったように思います。好況のときに一気に成長し、不況時には戦略を変えて乗り切る。それを繰り返して落ちることなく拡大を続け、その結果、株式を公開するに至りました。日本が不況と見るや、世界規模で景気のよいところを探し、大型物件を手がけるようになります。やっていることは資産家のコンサルタントで、創業当時と何ら変わっていないのです。日本の資産家から外国人の資産化にまで至った。それだけのことです。
ただ、08年9月の世界同時不況は大きすぎる波でした。外資系ファンドとつながりを深く持ちすぎていたがゆえに痛手も大きく、倒産を余儀なくされてしまいました。これまで資産家を探し出して運用提案をしてきた黒木氏でしたが、世界不況に陥ると、どこを探しても支えになる資産家が見当たらないのです。まるで杖を失ったかのように体勢が崩れてしまい、転んでも起き上がれないほどの痛手をこうむってしまいました。
私は黒木氏の生き様を見て、ガリバーを連想します。船医ガリバーはリリパット国で巨人として扱われましたが、ふるさとへ帰国すると普通の人のままでした。同じく黒木氏も株式公開を経て巨大化した法人の主となりますが、破たんを機にもとの地場企業へと戻りました。戻りはしましたが、巨人の経験をした者は、そうでない人と比べて圧倒的に視点を異にしていると思います。企業の破たんは個人の死ではありません。個人は経験を糧にして反省し、それを活かすことができます。株式公開、破たん。大きな経験をして、山頂近くまで上りつめた黒木氏が今後、どのような道を歩むのか、私は見続けたいと思います。
長い間、ご愛読いただき、誠にありがとうございました。
【柳 茂嘉】
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