戦後最多8人の立候補者で争われた福岡市長選挙は、戦後最年少の福岡市長誕生という結末を迎えた。しかも、当選した元アナウンサー・高島宗一郎氏(36)が、次点の現職・吉田宏氏(54)に約6万5千票の大差をつける圧勝劇。すでにさまざまなメディアで総括が行なわれているが、本稿では告示後の選挙運動に重点をおいて、勝敗の要因について考察したいと思う。
<政策論争になりえない構図>
今回の市長選の争点は、吉田市政1期4年の是非であったことは言うまでもないだろう。注目された「こども病院移転問題」もそのなかに含まれる。現職の再選に「NO」を唱える新人候補7人が反対(高島氏は告示前に移転を「白紙」に変更)の立場をとるのは当然とも言える。
アイランドシティ事業については、荒木氏、有馬氏以外の6人が継続する考えを示した。そのほかにもあらゆる政策において、複数の候補で考えが似通っていたのが今回の特長だ。有権者にとって違いが分かりにくかったのではないか。
しかしながら、挑戦を受けて立つ側の現職が、具体的な政策を示さなかったことが政策論争に発展しなかった大きな要因と言える。結局は、人柄、実行力、やる気、若さといったかたちのない情報で比べられるようになり、さらには国政情勢が影響をおよぼす余地を作った。政党の選挙介入、その発端が人気のない現職・吉田氏が組織力を頼りに、民主党に"頭を下げて"推薦をもらった一事に始まっている。
政策を持たない現職にふり回された新人たち。もっとも新人のなかにも事業計画とも言える具体的な政策を提示するものは少なかった。このような状況に、最も影響を受けたのが、政策を売りにする元佐賀市長・木下敏之氏(50)。こども病院の九州大学医学部(東区馬出)の敷地内への移転または、リファイン建築方式※による現地建て替え案、3・2・1の人件費削減(市長3割・議員2割・職員1割)、法人住民税などの減税により、日本企業や外国企業のアジア統括本部などを誘致など。さまざまな具体性のある政策を市民に提案し、それを公約とした。
しかし、戦う相手が"のれんに腕押し"、他との比較ができない状況では秀逸な政策もその良さが有権者に伝わりにくい。市長候補8人乱立による弊害も大きい。たとえば、公開討論会では一人ひとりの発言時間が著しく短くなり、十分な討論が行なわれなかった。
<与野党対決ムード一色>
告示後、市長選は「民主対自民」の構図でとらえられるようになってくる。自民党は谷垣禎一総裁以下、政務三役を次々に投入、麻生太郎元首相が高島氏に寄り添って街頭演説を行なう熱の入れぶり。負けじと民主党も岡田克也幹事長、渡辺周選対委員長が吉田氏の応援に駆けつけた。
与野党対決のイメージが大きくなると、政党の後押しを受けていない候補には不利になる。しかし、今回の有力候補のなかに、"市民派"をイメージさせる候補がいなかったことも特徴のひとつ。木下氏は民主党に推薦願を出した。前福岡市教育長・植木とみ子(61)は自民党に推薦を求め、結果、両者ともに推薦(支持)を得ることはできなかった。その経緯がありながら、市民派を強調した植木氏。さすがに疑問を感じる有権者は多かったようだ。
さらに植木氏は、福岡出身を前面に出し、「福岡の本流」と、地元色を強烈に打ち出した。しかし、「よそ者に福岡市政は任せられない」との発言はいかがなものか。福岡市以外の出身者も多く住む大都市・福岡で、こうした発言に反感を持った有権者も多いだろう。ともかく、強力な市民派候補の不在が、選挙における政党色を濃くさせる流れを作った。
【行政取材班】
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