<選挙運動にも差があり>
10月31日の告示の時点で、すでに高島氏が優勢に立っていた。前日に、公明党と政策協定を結び、全面的なバックアップを得られたことが大きい。弊社サイト「NET-IBニュース」のアクセス解析では、告示1週間前から高島氏関連の記事が、吉田氏を抜きトップに立った。どちらかと言えばバラエティー性の強いテレビ番組のキャスターから政治家へ。その意外性から、ネット上では高島氏の出馬意思表明以来、同氏関連記事は連日、高アクセスを記録。高島氏への関心は高まる一方だった。
また、イメージ勝負の選挙となれば、「公約違反」との悪い風評がつきまとう現職・吉田氏には圧倒的不利。対して高島氏は、「若さ」「元気」というイメージを前面に打ち出し、行く先々で駆け回って一人ひとりの有権者と熱心に握手して回った。若者を中心とした支援グループと行動をともにした点もイメージアップにつながった。
対する吉田氏陣営は防戦一方。しかも現場では、スケジュールの組み方に問題があり、民主党・岡田幹事長が応援演説を行なっているときに主役の吉田氏が不在。絶大な客寄せ効果を誇る谷亮子参議院議員が来たときは、"主役"演説中に谷氏が聴衆と握手をして回り、車に乗って帰るなどの不手際が目立った。
衰退一途の吉田氏に対し、支持を伸ばしてきたのは木下氏。アクセス解析でも終盤は、高島氏、木下氏、吉田氏の順になっていた。木下氏は終盤、住宅地・団地で頻繁に選挙演説を実施。絶対の自信を誇る政策を丁寧に説明して回った。ち密に考えられた政策、その実現性を多くの市民が理解し、浸透させるにはどうしても時間がかかる。あと数日、選挙戦が続いていれば、木下氏が吉田氏を追い越していたのは間違いない。
<植木事件も転機にならず>
終盤の大きな転機となり得たのは『植木氏の撤退』である。記者会見の植木氏の発言を聞いて、多くの人が「同じ保守系の自民党が圧力をかけて植木氏を降ろした」というイメージを抱いた。高島陣営へ、「これはテロだ」(麻生太郎元首相)と言えるダメージを与えた。ここが吉田氏再浮上のチャンスであった。一部で「大人の風格漂う」と評される吉田氏は、「われ関せず」と悠然と構えるべきだった。しかし、来援した枝野幸男幹事長代理をはじめ、民主党各議員は次々に「談合、談合」と断言し、非難の声をあげた。裏づけがなく説得力のない非難攻撃に嫌気を覚えた有権者は多い。また、枝野氏自身が、7月の参院選時、みんなの党に秋波を送るなどし、党の支持率を低下させたことは記憶に新しい。
伸び悩む支持に、吉田陣営と民主党の迷走は続いた。国政から吉田氏の応援に来た渡辺周・民主党選対委員長が「国政の状況に関係なく福岡市の将来を考えるべき」と、矛盾を感じる訴えを披露。ついには、吉田氏が涙を流しながら「4年間苦労した」と同情に訴える演説を行なっていた。それはもはや"断末魔の叫び"にしか聞こえなかった。
高島氏の支持の拡大は、現場の雰囲気からして然もありなんというのが率直な感想。結局のところ、民主党の支持率低下が自民党系候補の追い風になるという7月の参院選時の状況が繰り返された福岡市長選挙だった。
【行政取材班】
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