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特別取材

中村もときさんが語る、半世紀のアナウンサー人生(上)
特別取材
2010年11月29日 08:00

<ヘルシンキ五輪実況の志村さんに憧れて>

 「僕は子供の頃からアナウンサーになりたくて仕方なかったんですよ。僕はNHKの志村正順さんが好きで、この道を志したんです」。志村正順さんといえば、古くは巨人対阪神の伝説の天覧試合、ヘルシンキ五輪の実況、西鉄ライオンズの黄金時代の実況などで知られるNHKの名アナウンサーだ。子供の頃聴いた志村さんの声に憧れを抱いた中村さんは幼い頃にアナウンサーへの憧れを抱く。
 「しかし、この仕事を調べれば調べるほどアナウンサーの仕事は、ハードルが高いとわかりました。最初のハードルは標準語でした。僕は生まれも育ちも福岡なので博多弁しかしゃべれない。だからとても苦労しました。就職活動の年は、ゼミの他の連中は早々と決まっていましたが、就職が決まらないのが僕だけでした。大学の教授からどうするかと聞かれて、アナウンサーになると答えましたが、反対されました。当時はテレビ局のアナウンサーも各局で1人採用するかしないかでしたから、僕の大学の教授はアナウンサーよりも新聞記者を目指せ、新聞社にはコネがあるから大丈夫だと言われていたほどです」。
 だが、中村さんは諦めずにアナウンサーを目指し、大学教授を説得する。「高校も大学も落ちてばっかりだったから、落ちるのは慣れています。だから就職ぐらいは自由にさせてくれ、希望の職にチャレンジさせてくれとお願いしました。そしたら何故か(RKB毎日放送に)通ったんです。昭和39年、日本が東京オリンピックで沸く年のことでした」。

(つづく)

【矢野 寛之】

<プロフィール>
中村もとき氏中村もとき(なかむら・もとき)
 1941年7月10日、福岡市生まれ。西南学院大学商学部卒。大卒後、RKB毎日放送に入社。若者向け深夜ラジオ番組、夕方のワイド番組などで人気を集めた。RKB退社後、フリーとなり、99年4月よりKBCの「中村もときの通勤ラジオ」のメインパーソナリティーとなった。通勤ラジオ終了後は、アナウンサー時代から数々のコンテストに入賞した腕前を持つ写真業を本格化させる。


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