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天国と地獄の狭間~新興デベロッパーの倒産から再出発までの600日の記録 (3)
経済小説
2010年12月10日 10:39

 黒田が福岡に出たのは、20代の半ばのことだった。
 父は黒田に「大分は、環境はいいが仕事をするには限界があるのでお前は福岡に行け」と勧めた。大分で活躍する息子の姿を見て、もっと活躍の場が広がる元気な都市に行くことを勧めたのである。
 黒田は、父の勧めに従い、ハコスカといわれた中古のスカイラインにラジカセひとつ放り込んで、特に当てもなく福岡に向かった。その当時、大分から福岡への道は、ほとんどが一般道。後席のラジカセは、チャゲ&飛鳥の『万里の河』をがなり続けた。

 福岡に着いた黒田は、いくつかの工務店を転々とした。当初は、寮付きといって採用された工務店で南京虫だらけの旧い遊郭に押し込められたりしながら、持ち前のバイタリティで、木造建築の大工から鉄筋コンクリート建築工事の現場監督へと、キャリアを重ねていった。

慣れないネクタイを締めて街へ飛び出していった... DKホールディングスを創業する前、黒田が最後に勤めたのは小さな工務店である。昭和56年に入社し、当初は現場監督として勤務していたが、あるとき不況となり、工事がまったくなくなってしまった。そのとき、やる仕事もなく事務所の机でタバコを吸っていた黒田は社長から営業をやってみないか、といわれ、慣れないネクタイを締めて街へ飛び出していった。
 その工務店は、その後3年で黒田の営業により売上を3倍に拡大したのである。
 黒田はなぜ、このように仕事を受注できたのか。それは黒田が大分時代に知人よりアパート経営を勧められ、銀行のローンでアパートを建て、そこから稼げる家賃でローンを返済する、という方法を手ほどきされ、家賃収入で資産を増やすやり方を実践していたからである。黒田はその営業手法を自分のものとし、次々に地主よりアパートの工事を受注していったのである。やがて、工務店は、これ以上仕事を請けきれないという状況に陥る。

 ある夜、社長と黒田が居酒屋でたっぷりと呑んだときのことである。黒田は社長と意気投合し「俺ががんばりますから10倍の会社にしましょう!」ということになり、社長も「そうしよう、そうしよう」と応えた。黒田としては自己実現の喜びから、そして、請け切れないお客様からの要望をこれからはどんどん受けられることから天にも昇る気持ちであった。
 しかし、翌日社長より、「黒田君、ちょっと話がある」といって引き止められ、「黒田君、私は昨日会社を10倍にするといったが、それはなかったことにしておいてくれ。本音の話、俺は今くらいがちょうどいいったい」といわれ、がっかりした。
 そこで黒田は、自ら創業することを決意したのである。

〔登場者名はすべて仮称〕

(つづく)

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