「一家全員が竹下さんに票を入れた。今回の問題を知り、本当に驚いている。多選となる現職から市政を一新して欲しいと思い、"若い民間経営者"というイメージだけで入れてしまった。今となっては反省している」。支持から一転、刑事告発の賛同署名に名を書き入れた市民がそう語ったという。
11日からきょう(14日)の17時まで、福岡県警粕屋署への刑事告発の賛同署名が集められている。署名の回収場所には、署名簿を持参する市民がひっきりなしに訪れており、13日夕の時点で集まった署名数は1,500名分ほど。目標としていた2,000名分は楽に超える見通しで、15日に提出する予定である。
今回の刑事告発の内容は、古賀市長選挙に初当選した竹下司津男氏が、当選することを目的として経歴詐称を行なったか否か、真相の究明を求めるもの。竹下氏が告示前の政治活動で配っていたリーフレットのプロフィール(記事下の画像参照)には「2004年 (株)国際文化企画 代表」と書かれてあった。
商業登記簿によると、同社は2007年7月7日「株主総会の決議により解散」(同年7月25日登記)とされており、竹下氏がリーフレット作成時に実在していなかったことが確認できる。竹下氏はこのほか名刺などにも同様の肩書きを記入していたという。
<空白の9年間>
「竹下氏には謎が多い」と首をかしげる古賀市民は少なくはない。取材によると、生まれも育ちも古賀で生家は魚屋。高校は福岡県立福岡高等学校、ラグビー部で活躍した。高校卒業後は早稲田大学に進学。高校のある同級生は「その後、音信不通になり、同窓会に来ることもなかった」と話す。
リーフレットでは、卒業後の1993年に富士ゼロックス入社。その次に問題の「2004年」となるが、市民の間では「富士ゼロックスは2年ほどで辞めており、1995年から2004年までは"空白"だ」として、その空白の9年間についてもさまざまな憶測が飛び交っている。
地元・古賀に対し、あまりにも音沙汰なしだった竹下氏は、1年ほど前に帰郷した。そして、今年(2010年)5月ぐらいから市長選出馬のウワサが立ち始めたという。古賀市では竹下氏が地元で政治を志すまでの経緯について書かれた漫画本が配られていたが、古賀市を離れてから帰郷に至るまでの経緯については何ら触れられていなかった。
【山下 康太】
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