I.ファンドバブル崩壊
平成20年2月まで ファンドバブル崩壊前夜
<増収増益予算が組めるか>
平成20年1月、私は『成長の限界』という、70年代のローマ・クラブの著作の題名を思い出していた。『成長の限界』は、爆発する人口と石油消費を背景として、もうすぐ地球は定員オーバーを迎えるというシミュレーションを描いた本である。『成長の限界』は、当時の人口増加をそのまま放置すると、原油資源の枯渇、エネルギー生産国と消費国の対立、食糧問題、炭酸ガスの排出による気候の変調等により、これまでのような経済成長はできなくなる、という悲観的なシミュレーションを描いて見せ、今から国際社会が協調して対策に乗り出すことを提唱していた。
平成20年4月から、新年度となる。1月は、予算編成の大詰めの時期である。上場会社は、株主からの期待に応えるために常に成長しなければならない。DKホールディングスの場合は、売上のほとんどが開発した物件の売却によるものであるため、計画通り用地の仕入れができ、予定通りの工期で竣工し、それまでに売却先との契約ができればいい。それらの売却物件で15%程度の粗利益率を確保できれば、きちんと増益を達成できるはずであった。
ところが、平成20年1月の時点で、平成21年3月期に販売する予定の物件のなかで、受注済みは僅かに1棟50億円程度であった。DKホールディングスの新年度は4月から始まるが、通常は期初時点でその年度の販売予定物件の半分はすでに受注済みあった。ところが、20年1月時点では受注済みは1棟50億、竣工金額ベースで全物件の4分の1に過ぎなかった。 それだけではなく、仕入後の作業の進捗がはかばかしくなく、21年3月までの竣工が危ぶまれる物件が続出していた。そうなってくると、来期予算を増益で組めない。いや、ファンドの配当収入で50百万円の底上げがあるはずなので、何とか増益にできるはずだ、と私は考えた。
<燃え尽き症候群>
私が平成14年にDKホールディングスに入社してからというもの、毎年の増収増益は黒田社長にとっても私にとっても至上命題であった。
平成12年秋、DKホールディングスは九州の不動産業界で初めて、TOSDAQに上場を果たした。いや、当時はまだ日本証券業協会が運営する「店頭市場」という位置づけだった。店頭市場への公開は、日本証券業協会の会員である証券会社が行なっていた。つまり、取引所の上場審査は、当時はまだ存在せず、会員の証券会社の審査部による審査だけで上場できた。とはいえ、地方都市の中堅企業が中央の市場に上場するのには、それなりの困難を伴った。
そして、上場から2年が経過し、私が入社した頃には、多くの企業がそうだが、DKホールディングスの場合も、上場後の燃え尽き症候群に侵されていた。
いっぽうで黒田社長は、上場後、時代の寵児そして地元財界の若きリーダーとしてマスコミからちやほやされていた。
「次は何をやるんですか」「3年後の売上は?」。
このようなマスコミからの質問に、黒田社長は前のめりになって、次から次へとアズアイティアの新施策をぶち上げずにはいられなかった。もっと成長を、もっと配当を。上場を達成したばかりの黒田社長にとっては追い立てられる気分であったろう。しかし足元では、不動産販売事業は、今期売上用として仕入れた物件がまだ売れず、売掛による不動産販売というあまりほめられないこともせざるを得なかった。そして、不動産管理事業は・・・。仲介営業レディー出身の古参女性の森村取締役が部長として賃貸管理部を仕切っていたが、内部監査担当の説明では、忙しさにかまけて人を増やすばっかりということであった。昨年と今年の組織図を比較してみた。また知らない名前が増えていた。
〔登場者名はすべて仮称〕
(つづく)
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