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天国と地獄の狭間~新興デベロッパーの倒産から再出発までの600日の記録 (10)
経済小説
2010年12月17日 10:28

<子会社ピーエムジェイの設立と破たん (2)>

 私が社長室長として入社後、最初に黒田社長からピーエムジェイの後始末を命じられた。直ちに岩倉専務と作戦を練り、古田氏が連れてきたウェブデザイナー出身の副社長に退任を促し、30人まで膨れ上がった社員を整理して10人程度で営業しながら経過を観察することとし、それで無理ならピーエムジェイを本体に吸収する覚悟を決めた。
 私は、残り物には福がある、と思った。人が嫌がる仕事や、汚れ役の仕事はきっと自分のためになる。そして、それがDKホールディングスで自分がチャンスを得られるかの境界線になる。新参者ならなおさらのことである。

私は早速、副社長を見送り、その後ピーエムジェイに出向いた... 私は早速、副社長を見送り、その後ピーエムジェイに出向いた。
 狭い事務所に30人もの若者がいて、それは楽しそうに仕事をしている。まるで大学のサークル活動のようであった。WEBへの掲載情報は、DKホールディングスの物件以外、ほとんどなかった。そして、とりあえず入居契約の獲得はほとんどなかった。しかし、DKホールディングスが少しずつ新しい賃貸マンションを竣工させるので、その部屋の画像を撮りにいったり間取り図を作ったりと、作業だけは山ほどあるのだった。

 ピーエムジェイのビジネスモデルでは、営業担当が物件を獲得してきて、それを制作担当がWEBに載せ、業務担当がアクセスしてくる一般ユーザーとメールでコンタクトを取り、例の「開けTEL君」による無人下見に案内して契約に至る、というものだった。しかし、実際には、単身用賃貸マンションの住み替え需要は、転勤や転職といった実需よりも「なんとなく今の部屋に飽きたから引っ越したいな」という仮需に依存しているのであった。なんとなく街の仲介屋さんに立ち寄った女の子に魅力的な物件を案内し、背中を押して決めてもらっているのが実態であった。そのため、人的なプッシュのできないピーエムジェイのサイトには、物件を見に来る人は多かったが、それが成約に至っていなかった。賃貸仲介には人的なセールスは不可欠だったのだ。

 最初の週には、私は数人を残して社員に解雇予告を手渡した。DKホールディングス本体の増員ニーズがあったので、そこでも数人を吸収できた。しかし、素行の悪かった者にはそのようなチャンスも与えずに解雇した。ただ、それでも本人都合の退職として扱うか会社都合の解雇として扱うかは、本人に選択させた。
 ピーエムジェイのPL、BSとも指名解雇が解雇権の濫用に当たるといわれないのに十分な悪さ加減であった。そして最終的には掲載物件の拡大は断念し、今掲載されている物件だけで、ひとまず直接の仲介営業で実績を上げることを目指した。しかし仲介には宅建免許が必要であり、そのためには追加の資金投入が必要であった。そして、それはピーエムジェイの財務状況からしてかなわぬ夢であった。

 最終的には、残った社員のがんばりで、他の管理会社に重要事項説明を頼む形でいくらかの成約をあげることはできた。
 しかし、2億円の累損を抱えた10人の会社を、累損のまま営業してゆくというのは現実的ではないと考え、私は黒田社長および岩倉専務に「ピーエムジェイは本体に吸収し、直営の仲介部門として生かしてゆくべき」という意見具申を行なった。
 意見具申は採用され、黒田社長は吸収を決断した。それまでにDKホールディングスがピーエムジェイにつぎ込んだ金は、約2.5億円であった。
 この期、DKホールディングスでは証券化崩れの物件25億円を、アメリカ系のファンドに売り抜けることで売上は前期と比較して約5割アップした。しかし、ピーエムジェイの損失を計上し、最終利益は、役員が1年分の退職慰労金を返上することで辛くも黒字を確保した。

〔登場者名はすべて仮称〕

(つづく)

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