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天国と地獄の狭間~新興デベロッパーの倒産から再出発までの600日の記録 (15)
経済小説
2010年12月24日 13:14

<ファンドバブル崩壊前夜>

 日本の地価は、平成2~3年をピークとして下がり続けていた。その後、平成10年くらいから、そろそろ底値と読んだ米系などのハゲタカファンドが都市型の不動産の買いあさりを進めた。このときに、彼らは従来はあまり省みられなかった「投資利回り」に注目して物件を選別していった。このため地価の反転は、最初は東京都心、次いで大都市圏の都心で生じた。その後、福岡の都心に関しては平成12年くらいには、明らかな底打ち感が生まれていた。その後、小泉政権の構造改革の過程でのいわゆる竹中ショックもあって、ややもたつく時期もあったが、基本的にはそれ以来、都心の地価は緩やかな上昇を続けていた。

 ファンドが持ち込んだ投資利回りの概念は画期的であった。そもそも不動産は極めて個別的が強い商品であり、価格の割高・割安を比較検討することは難しかった。特に従来の日本では、不動産は再調達原価法または取引事例比較法で鑑定評価され取引されていたため、なおさらである。ところが、ファンドが持ち込んだ収益還元法では、不動産を収益発生装置と見なし、家賃収入の発生額と期待する運用利回りから、あるべき評価額を導き出していた。

 この収益還元法により、不動産は他の金融商品と同様に比較検討できる存在となり、これにより、バブル崩壊に懲りていた国内勢も恐る恐る不動産投資を再開していった。DKホールディングスは、バブル崩壊直後から運用利回りに着目して物件を開発してきたので、業界内ではかなり先行した会社と認められていた。

ところが平成18年になると、東京都心の不動産では... ところが平成18年になると、東京都心の不動産では純利回りが4%以内、というような物件が多く見られるようになった。いくら東京都心の優良な貸しビルといっても、国債と比較するとかなり投資リスクが高いはずなので、まあ、これくらいが不動産価格の上限ではないかとの意見も多かった。その頃地方圏についていえば福岡市の都心部の利回りは、東京の利回りの1.5~2ポイントアップくらいの水準であった。賃貸用不動産は、経済活動が活発な都市ほど、テナントが退去してもその次のテナントが決まりやすいため、東京の物件の利回りがもっとも低く、その他の政令指定都市の物件は、その地域の人口と経済の活発度に応じて、雁行的に利回りが決定していた。当社は以上のような状況を踏まえ、東京、名古屋、鹿児島と事務所を開設して開発のエリアを広げていった。

 平成19年になると、東京の物件の利回りが上限に張り付きつつあるいっぽう、地方圏の物件の値上がりが顕著になってきた。東京の物件の価格が上がってきたため、投資家が地方都市の物件を物色するようになったのである。しかし、あくまでも収益還元法に基づく投資であるため、地方都市で長期に安定した収益を上げられる不動産立地は本当に限られた。そういうなかで、当社は、一貫して慎重な仕入を行なった。ファンドなどからの購入意向を受けてから仕入れる、などである。

 平成19年の暮れになると、ファンドがこれらの購入意向を撤回したり、値下げ要求を出してくることがあった。当社で、証券化を前提として仕入れてきた物件の商談のピッチも鈍ってきた。

〔登場者名はすべて仮称〕

(つづく)

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