<阿久根市政騒動のおさらい>
保守基盤の阿久根市において「何故、『非常識の男』と批判を浴びせられてきた竹原信一氏を市民が2回も市長に選んだのか?」をおさらいしてみよう。まー、今回の市長選挙においても敗北はしたものの接戦であったが―。まずは辺境の地=阿久根市に住む住民たち、特に60歳以上の老齢者たちは「今後、10年もすれば我が育った故郷は年寄りばかりになり崩壊する」と危機感を抱いた。企業に勤めるにしてもたいした職場はない。農業・漁業の自営業もお先が真っ暗。「これは大事だ」と生活感覚の共通認識が定着した。
一方で、阿久根市長・市会議員・職員たちにはまるで「太平楽の時代が100年続く」と思い込んできた。既得権ばかりに浸ってまともな仕事はしない。市職員の平均年収700万の水準は地元民にしてみると高嶺の花だ。市の職員が優秀で必死で働ければ市民の不満・批判は生じない。市会議員も同じこと。ただ市長・市行政が提案した法案を追随承認するだけの鈍(なまく)ら集団になり下がってしまっていたのである。泰平の世のなかを怠惰・安眠で弛緩している間に市民の将来の生活は末期を迎えてしまった。
そこに独裁者と糾弾されてきた(?)竹原氏が登場し、彼の言うことに市民たちは耳を傾けてみた。「なかなか的確なことを指摘するじゃないか。たいした奴だ」という評判が高まっていく。竹原氏が市職員の高級取り状況を情報発信する。初めて情報公開に接して耳にすることばかりである。「なんだって!!我々は年収200万台しかないのにそんなに禄をむさぶっているのか!!」と市民は怒る。さらに発展して「これはどうしても市政の根本的な変革をする必要があるな」という見識を持ち竹原氏を支援する行動に踏みだした。
<30、40代が故郷の活性化の中核を担え>
今回、新市長になった西平良将氏の勝因は20代、30代の若い世代を味方にしたからだ。竹原氏が突きつけた「テーマ」に関しては基本的賛成。彼に対する違和感はやり方・政治手法である。「衝突を繰り返して駄目、話し合いで解決を!!」を掲げて選挙戦を戦い抜いた。だから竹原氏が唱えていた阿久根市政大変革を話し合いで遂行すれば結構なことだ。だが果たして話し合いだけで結着がつくかな。市会議員に対して給料を無くし日当制を導入した待遇体系は当然、継承すべきであるが、変節しないことを望む。
あとネックになっているのは阿久根市の活性化を果たすための産業復興である。この分野は竹原氏の苦手なところであった。西平市長周辺には地元の企業家たちがいるだろう。様々な振興策を打っていけばよい。阿久根出身の畜産の生産者たちが集まって福岡においてステーキの店を運営している。結構、繁盛をしているのだ。事業意欲に燃えているお手本であるから「事業セミナー」でも開催すれば話題になるだろうし参考になる。
予想されることだが、西平市長が公約通りに政策実行しようとすれば市会議員、自治労から総スカン、反撃を食らう。どこかで妥協をするとなれば「偏向者!!」と厳しく罵倒される運命と直面することになる。西平市長が強い意志を発揮して「我が道」を貫ければ何も論評することはない。だが、必ずや立ち往生する局面が生まれる。その時点で再び竹原氏への期待論が台頭してくる。それまで竹原氏には「束の間の休息」をお願いしたい。
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