日本主導で前向きな取り組みを
<各国間の利害を調整し合意へ漕ぎ付ける>
―昨年行なわれたCOP10などの国際会議の行方を注視していましたが、各国の利害と思惑が絡み合い、調整は相当大変だったと思います。
松本 2010年までに生物多様性の損失速度を著しく減少させるという目標が達成不可能な状況のなかで、多くの国がいわば失望感を抱えて名古屋に集まってきたわけです。そのため、とにかく名古屋で一定の合意を取り付けなければならない、という使命感をもって臨みました。
環境問題をめぐっては、先進国と途上国は対立の構図がクローズアップされがちですが、私は必ず共通の利益を見出せると確信していました。会議最終日の10月29日の朝に議長案を提出して、会議での重要な課題の1つであった遺伝資源へのアクセスと利益配分(ABS)については、名古屋議定書の合意をなんとか取り付けることができたのです。
議長国として、予断を持たずに公平公正の立場を堅持しながら、1つひとつ丁寧に説明し、説得した結果だと自負しております。また、先進国と途上国が妥協し、譲歩した背景には、それぞれの国の祈りにも似た思いがひとつに結集したと感じられてなりません。
―調整の最大のポイントは、どのあたりにあったのでしょうか。
松本 「議論がまとめられないままで終わる」という選択肢もあったのですが、それではCOP10への求心力はますます遠のいてしまいます。ですから、それだけは何としても回避したかった、というのが率直な思いです。
議長案提出の際に、各国代表に訴えかけた点も「これは完璧ではない、しかし合意してほしい」と誠実に訴えかけたのです。別にこれといった策を講じたわけではありません。議長案を認めていただけるかどうか、この一点で押し切りました。最後は各国代表の英断で何としても合意してほしいと訴え、説得にあたったのです。
―国際会議における日本の役割、存在感というと、どうしても「影が薄い」という印象を受けます。しかし、名古屋会議では合意は無理だろうという下馬評を覆し、合意へと漕ぎつけたことの意味は大きいのではないでしょうか。
松本 COP16でメキシコに行ったときは、遺伝資源を持っている国や、生態系を荒らされている国からは非常に高い評価を受けました。日本では、天皇陛下から労をねぎらうお言葉を頂戴いたしました。昨年12月23日のお誕生日の会見の席で、陛下は「最終的に各国の同意を得て会議が滞りなく終了したのは喜ばしいことでした。より多くの人々が生物多様性に関心を持つようになった意義ある会議であったと思います」と述べていただいたのです。
【聞き手:弊社代表 児玉 直】
【文・構成:吉村 敏】
<プロフィール>
松本 龍(まつもと りゅう)
1951年福岡市生まれ。馬出小学校、福岡中学校、福岡高校から中央大学へすすみ、政治学を専攻。80年、参議院議員・松本英一の秘書として政治の現場へ。90年、衆議院選挙に初当選。96年、国会等移転に関する特別委員会委員長。97年、商工委員会理事。2000年、環境委員会委員長。09年、衆議院七期に当選。10年、環境大臣、内閣府・防災担当大臣に就任。
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