<議論を集約化するメディアが必要>
―当社もネットで情報発信していますが、ひとつの記事がきっかけで社会の動きが大きく変わることもあります。これまでは新聞・テレビが世論を形成してきましたが、ネット上ではそうした国民の意志が集約した場があるのかないのか、また世論形成の力はあると思いますか。
佐々木 その場はあります。でも、たとえばツイッター上の議論を追うのはなかなか難しいですね。そもそも人によって見えているタイムラインが違いますから。たとえば「仙石官房長官の『暴力装置』発言」というテーマであれば、何百人かが同時につぶやいているわけです。ただ、その議論をすべて読んでいる人はおらず、断片的にいくつかの議論が分けて見られています。ただ、今の自然発生的な議論は、ツイッターのなかで完結してしまって表には見えにくい。しょせんはまだ人口の1割くらいしか使っていないからほとんどの人は知らないわけで、いかにそこで高度な議論が行なわれていたとしても、まったく世論に接続されておらず、多くの人にも可視化されていない状況です。
一方で、それがオルタナティブな世論空間だと思っている人も増えています。次の段階として必要なのは、ツイッター上の議論を、コアなユーザー層にしか分からないような方法ではなく、より一般の人たちにも分かりやすく提供する。そうしたメディアが出現してくる必要があると思います。実際、アメリカではそうした議論の集約化が行なわれているサービスがあります。
いずれにしろ、マスメディアの議論よりはよほど高尚な議論なのは間違いなく、その集約化ができてようやくオルタナティブな対立軸になるでしょう。今は、いくらツイッター上で議論しても宙にほえているようなものです。マスメディアにまったく届いてないわけですが、あちらの人間に届くようにしないといけませんね。
―マスメディアの人間はそれを認識しようとしますかね。
佐々木 今はまったくしてないし、しようともしないですね。ただ、それを認識せざるを得ないと思わせるのが重要です。この前、評論家の東浩紀さんと明らかにテレビ文化人ではない人たちの論壇的な圏域というのがツイッター上で出てきているということを話しました。堀江貴文さん、村上隆さん、宮台真司さんなどはテレビにほとんど出ないわけですが、ゆるやかなつながりがあって議論の渦が微妙に重なったりするわけですから、これは新しい動きではないかと思います。あとは、それが見えるようにすればいいだけです。
テレビで偉そうに話している人たちがいますが、彼らの論壇というのはネット上ではまったく評価されておらず、ある種の二重構造になっています。それらが今まで衝突する場がなかったのですが、そろそろそういう場ができればいいなと思います。
―どうすれば衝突しますか。
佐々木 マスメディアの側がそれを可視化させれば衝突します。
【大根田 康介】
<プロフィール>
佐々木 俊尚(ささき としなお)
1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部中退。88年毎日新聞社入社。99年アスキーに移籍し、『月刊アスキー』編集部デスク。03年退職し、現在フリージャーナリストとして主にIT・ネット分野を精力的に取材する。総務省「グローバル時代におけるICT政策に関するタスクフォース」委員。「2011年 新聞・テレビ消滅」「Google グーグル」「電子書籍の衝撃」など著書多数。
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