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【対談】名物ママ・藤堂和子氏が語る「中洲が生きる道」(1)
中洲バトルロワイヤル
2011年2月25日 17:23

 西日本一の歓楽街・中洲で、老舗スナック「リンドバーグ」を先代から受け継ぎ、今では有名高級クラブ「ロイヤルボックス」も切り盛りしている藤堂和子ママ。藤堂ママは30周年を迎えた情報誌『中洲通信』の編集長としての顔も持ち、全国的な"中洲の顔"というべき存在と言ってもいいだろう。そんな藤堂ママと中洲をこよなく愛するフリーアナウンサー・中村もとき氏が、2011年の展望について対談を行なった。不景気で多くの中洲飲食店が喘ぐなか、藤堂ママはどのような活路を見出しているのか―。

(聞き手:中村もとき氏)

中村もとき氏×藤堂和子氏

<2,200人集まった中洲通信30周年パーティ>

 中村もとき氏(以下、中村) 和子ママいつも元気ですねえ。健康の秘訣は?

 藤堂和子ママ(以下、藤堂) やっぱりお店を忙しくさせて、自分のプライベートを充実させて、それからよく食べて。ひとつ欠けても健康じゃなくなるのよ。でも、やはり、自分の仕事が上手くいっているとね、(身体に)いいのよ。

 中村 これがね、しゃくに触りますなあ(笑)。ほかの中洲(なかず)のママが聞いたら怒りますよ。

 藤堂 私がね、いつも言うんだけど、「ママたるもの早く出勤せれ」って。うちの本店(リンドバーグ)はスナックじゃないですか。お客さんとね、ご飯食べに行かないときは7時30分くらいに店に入っているもの。私が早く行けばお客さんも早い。遅くいけばお客さんも遅い。

 中村 なんかこう、いつもね、目が四方に配られているというのがすごいね。

 藤堂 今、トイレ掃除の歌があるじゃない。あたしたちはね、ばあちゃんが小さいころから「便所をきれいにせんと商売もはやらん。いいこどもも生まれん。きれいにならん」って、そげん言うて中学校の頃から、上手に便所掃除させられよったんやけん。何でもそうやけど、経営者は自らが動く姿勢が大事。私も40代の頃は、店に6時入りしたり、みんなで一緒に掃除したりとかしていましたよ。

 中村 ところで、『中洲通信』の30周年ということで、東京で記念パーティをやったそうですね。どんな具合だったんですか。

2,200人が集まった祝賀パーティーの様子 藤堂 2,200人以上、来て下さいましたよ。あたしも1,500人来たらいいかなあと思って、お土産を1,500個用意していたけども、帝国ホテル(会場)のカウンターで2,200人超えていました。すごかったですよ。

 中村 ということは、『中洲通信』の愛読者は関東が多かったわけ?

 藤堂 別に『中洲通信』の愛読者というわけじゃなくて、「リンドバーグ」が54年になるんだけど、昔から(お客さんに)転勤族が多いじゃないですか。あたしが入った中洲の昭和40年代の頃は、みんな30代、あたしは20代でした。それから40年経っているわけです。中洲通信もずっと、あたしが「これは!」と思う人、それから「この人とはずっとつながっていたい」と思う人に送り続けたわけですよ。

 中村 じゃ、僕もそのひとりよね。ずっと送り続けていただいたから。本当に恐縮です。

 藤堂 まあいろいろあるから、長い人で30年、知り合ったばっかりの短い人で3年かもしれないよね。そうやって送り続けていることによって「『中洲通信』のパーティをする」と言ったら、みんな、「俺たち行かないかん。(『中洲通信』に)1円も払うとらん」となってね。逆に福岡の人にはあんまり配っていないわけですよ。なぜならば、「リンドバーグ」に来られるから持って帰るわけじゃないですか。でも、県外とか北海道とかソウルとか、遠いところに送り続けたの。一番多いのは東京よね。

 中村 そういう人たちが集まって来たと。

 藤堂 そういう人も多かったし。今、お店にいらしている方も多かったし。それで「この30年の赤字は本当にムダじゃなかったな」と思ってね。

(つづく)

【文・構成:長丘 萬月】

| (2) ≫

<Profile> 藤堂 和子藤堂 和子 (とうどう かずこ) 1946年、福岡市生まれ。71年、老舗の航空スタンドバー「リンドバーグ」の経営者となる。90年代には高級クラブ「ロイヤルボックス」の経営にも携わり、中洲有数のクラブとして成長させる。また80年から博多・中洲発のタウン誌『LB中洲通信』(2010年1月に休刊)の編集長を務める。同誌は、2011年春に「使える」季刊情報誌として復活の予定。

中村 もとき中村 もとき (なかむら もとき)
1941年7月10日、福岡市生まれ。西南学院大学商学部卒。大卒後、RKB毎日放送に入社。若者向け深夜ラジオ番組、夕方のワイド番組などで人気を集めた。RKB退社後、フリーとなり、99年4月よりKBCの「中村もときの通勤ラジオ」のメインパーソナリティーとなった。通勤ラジオ終了後は、アナウンサー時代から数々のコンテストに入賞した腕前を持つ写真業を本格化させる。


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