福岡県知事選挙の候補者擁立をめぐる混乱は、公明党に続いて民主党、自民党が小川洋氏擁立を決定したことでひとまず落ち着いたかに見える。一時は自民党推薦の内定を得た蔵内勇夫氏だったが、経済界がまとまって小川洋支持の会をつくる動きが活発化するなかで、周囲の県議や古賀誠衆議院議員、武田良太衆議院議員・自民党福岡県連会長らの説得を受け、出馬断念を表明した。
これらの動きについて、種々の分析がなされている。公明党県議団の小川支持表明が蔵内氏自身の気持ちを萎えさせたという風評があるが、それは当たらない。今回の候補者選定をめぐる争いは、ある意味でアンシャンレジーム(旧体制)の崩壊が福岡県でも始まったことを意味している。麻生渡知事や麻生太郎氏、そして経済界がアンシャンレジームの維持を目論んだ事に対して、蔵内氏はそれを突き破る新しい政治を考えたことで対立が顕在化したのである。
むろん蔵内氏は、自民党県議団会長として議会主流派の動きを常に決定する立場にあった。それにおもねることによって麻生県政は成り立ち、福岡県のエスタブリッシュメント(支配層)たちの利権は維持されてきた。その蔵内氏が新しい政治の風のなかで、改革の意志を表明したことにこそ、対立の深刻さはあったのである。
蔵内氏が立候補の表明をした時、ほとんどのマスコミが彼の政見を黙殺した。政治改革・議会改革をはじめとした蔵内氏の主張は、彼の政治家としての出発点からの持論であった。現在の日本の社会改革をいかになすべきかを、地方自治の原点に立って行なうことこそが、蔵内氏をして知事になりたいと意欲させた本来の理由である。それは麻生県政をいかに評価するかにもかかってくる。昨年1月の中島副知事の逮捕という衝撃的な事態を生み出した麻生県政の否定的総括こそが、現在なされなければならない。麻生知事のトップダウン式政治手法は、知事に追従する副知事・局長を生み出し、彼らの権力の増大化が県民無視の県政につながったのだ。過去から引き継がれるものを一旦白紙に戻して地方の時代にふさわしい県政を実現することこそ、蔵内氏の思いである。
だが、蔵内氏その人がアンシャンレジームの中心にいる人物であった。彼の改革の意志は、県民にはほとんど伝わらなかった。あえて対立を糊塗し隠したからである。それゆえに蔵内氏を知っている人は、おしなべて蔵内氏が本気で立候補するわけはないと思った。「彼は知事以上の権力を握っている。何をいまさら人に頭を下げる知事になりたがるのか、理解できない」という言葉は彼を知る人たちの共通の認識であった。蔵内氏の立候補表明は、小川洋氏擁立についての根回しが麻生知事・麻生太郎衆議院議員から蔵内氏本人になかったことへの不満にすぎないとの見方をされてしまったのだ。蔵内氏自身も歯切れのいい言葉でそれに対する反論を行なわなかった。わがままを言っているのは、麻生太郎氏ではなく蔵内氏だという論調がいつの間にか作り出された。この事態に危機感を覚えたのが古賀氏である。このままでは蔵内氏の政治生命に関わると判断し、事態の収拾に乗り出した。
そして蔵内勇夫氏の出馬断念、自民党の小川氏支持という結論に至ったのである。
【勢野 進】
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