<自然の破壊力には人力は無力>
筆者は過去に2回、三陸海岸を車で走行したことがある。至るところで高さ8~10mにおよぶ堤防が覆いかぶさっている場所を目撃した。「なんだ、せっかくの風光明媚な海岸線が眺められないではないか!!」と、車中で愚痴をこぼしたものだ。
その10mの堤防をやすやすと超えて、津波が怒涛のように押し寄せる光景を思い描いてみても想像を絶する。死者1万人をはるかに超えるとみられる人的犠牲者を発生させた今回の地震は、さながら地獄絵図を生みだした。
三陸海岸は、日本でも有数のリアス式海岸として有名である。車で走ると、湾内に接したところどころに扇形の平地に遭遇する。この場所が、ひとつの町を形成している。今回、これらの地域が津波の餌食になった。南三陸町(宮城県)ではいまだ1万人が行方不明で、1,000人の遺体が発見されたとか。まさしく驚愕するしか術がない。そのほかにも、陸前高田市(岩手県)など、再起不能になるほどの打撃を受けた自治体がたくさんある。「新天地に都市を移転するしかない」という指摘もある。100年営々と築いてきた各地域が、粉砕されたのだ。
<電気が供給されなければ生活が成り立たない>
盛岡の友人に電話をした。「凄い揺れが幾度となく襲ってきた。だが、建物の被害はあまりなかったようだ。ただ、停電になっているのが困る。夜7時から布団に入るしかないな。防寒には最良策だ」と地震の被害状況を語ってくれた。
電気の供給がなければ、我々の暮らしぶりは少なくとも50年前に戻ってしまうのである。今まで「当たり前」と思っていた生活スタイルが、いかに『砂上の楼閣』の類の脆いものであったことかを思い知らされた。
しきりと「ライフライン」という言葉が叫ばれている。これは、電気・水道・ガスなどの基本生活を維持できるインフラのことを指す。この「当たり前」と目されてきた「ライフライン」の供給が、今回の大地震の影響でストップすることになったのである。その筆頭格である電気が来なければ、現代の家庭生活を送ることは不可能だ。冷蔵庫、洗濯機、TVを利用できないくらしに耐えられる者は、皆無だろう。本当に文化生活というものは、脆弱なものである。
たしかに、東京電力が長期にわたって電力供給を不可能にしたのは、1945年以降初めてのことである。生活者からしてみれば、「太陽は東から昇る」ということと同じくらい当たり前の感覚でいたのだ。
異常事態といえども、全国的な供給カバー能力はあった。九州電力は500万kWの支援能力はあるそうだ。しかしここに来て、明治以来の東日本と西日本の電気周波数の違いがネックになっている(静岡・長野県を境にして、東日本は50Hz、西日本は60Hz)。この周波数の違いをチェンジする周波数変換設備の能力は、100万kWしかないそうだ。明治以来130年にわたって変革してこなかったツケが、この未曽有の危機において命取りになっている。加えること、原子力発電所の操業が中断すると、停電期間はますます長くなるであろう。
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