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【再掲載】原子力安全・保安院の欺瞞 伊方原発事故申告者への対応(前)
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2011年3月15日 13:18
 東北地方太平洋沖地震の発生に伴う一連の原発事故への国や東京電力の対応が問題視されていることをふまえ、【2009年3月24日】から恩田勝亘氏が今までに寄稿した原子力発電所関連の記事を再び掲載いたします。

 経済産業省の外局である原子力安全・保安院は、原発の安全性を確保するために内部告発をはじめとする事故やトラブル情報を受け付け、調査結果も公表している。とはいえ国策として原発を推進する立場から、かねてよりその調査方法、調査結果が電力会社寄りという批判がある。四国電力伊方原発での火災事故申告者への対応はその典型だ。


全国での原発火災事故 防火・消火態勢の脆弱さ

 一昨年7月の中越沖地震で被災し、7基の原発すべてが停止している東京電力柏崎刈羽原子力発電所は、運転再開をめざして全機の修理、点検を行なっている。東電はその様子を東京を中心とする供給エリアのテレビCMで頻繁に流してきた。同原発の再開を期して、復旧ぶりをアピールするためだ。ところが今月5日、1号機の原子炉建屋内で火災が発生、作業員が火傷を負った。実は地震後の点検、修理中の火災はこれで8回目になる。

 過去、全国の原発での火災は枚挙にいとまがなく、その防火、消火体制の脆弱さを指摘されても、電力会社が対策に真剣に取り組んだ形跡は見あたらなかった。その結果、東電は地震で3号機タービン建屋の変圧器火災が発生しても、消火できないまま何時間も燃え続ける醜態をさらしたのは周知の通りだ。

 被災した柏崎刈羽原発の復旧作業をしている最中の、たび重なる火災である。東電は一体何を考えているのか、あ然とするほかない。7号機からの運転再開を目論んでいた東電はもとより、経産省資源エネルギー庁も原子力安全・保安院(以下、保安院)も砂を噛む思いだろう。その最中の3月11日、保安院を1人の男性が訪ねてきた。元荏原製作所四国支店に勤務していた本田省吾氏(63歳)である。

 同氏は3年前の2006年(H18)秋、保安院にかつて四国電力伊方原発で起きた重大事故を告発した人物だ。しかし、一昨年1月に保安院から発表された調査結果は事実と異なる納得し難いものとして、本田氏は再三にわたって再調査を依頼してきたが、相手にしてもらえない。そこで病身ながら、保安院の見解を質すためにわざわざ四国から上京してきた。

 「私が告発したのは92年11月に起きた同原発3号機の火災です。当時、1、2号機はすでに稼働していましたが3号機は建設中で、私は消火ポンプを受注した荏原製作所の現場監督としてその据え付け工事に当たっていました。そして工事が終わって試運転をしたときに配線ケーブルが燃え上がり、消火器だけで簡単には消し止められない火災になりました。消火ポンプは原子炉建屋全体を火災から守る非常に重要なものだけに、古い事故とはいえ隠蔽したままでは済まないと考えたからです」(本田氏)

伊方原発の火災事故 事故報告後の隠蔽強要

 伊方原発は愛媛県から九州に突き出した佐多岬の根元、伊方町の瀬戸内海側に立地する四国電力(以下、四電)唯一の原子力発電所である。現在、電気出力56.6万KWの1、2号、同89万KWの3号と3基が稼働中だ。最近は安全性への疑問から反対も多いプルサーマル(ウランにプルトニウムを混ぜた燃料を燃やす)試験に九州電力とともに真っ先に手をあげる一方、中越沖地震で原発の耐震性が改めて問題になるなか、中央構造帯の上に位置する同原発の耐震性を疑問視する声が高まっている。

 本田氏によれば問題の3号機火災は、電気で動くモーター駆動ポンプ、A重油燃料のエンジン消火ポンプの2台をはじめ、操作盤やバッテリー盤の設置、配管や配線など一連の工事を終えて試験運転したときだった。

 「試運転は四電社員5~6人、それに私とポンプメーカー社員の7~8人でやりました。最初にモーター駆動のポンプを約1時間運転。異常はなく、続いてエンジン駆動ポンプをこれまた1時間運転し、停止ボタンを押しても止まらない。その瞬間、ポンプと操作盤を繋ぐ配線ケーブルから出火。消火器でいったん消し止めたものの、その後またすごい勢いで燃え上がり、消火器だけでは止められない。そこで配線ケーブルそのものを切断し、あとは消火器で消したんです」(本田氏)

 問題はさらにその後も続く。もとより出火原因がその場でわかるはずもなく、各社それぞれに事故報告に走るなか、本田氏もすぐ荏原製作所の四国支店へ事の顛末を報告。翌朝には香川県高松市から最高責任者の支店長が伊方へ駆けつけてきた。

 「支店長が四電の現場最高責任者である建設所長と1時間ぐらい話し合った後でしたが、私は所長室に呼ばれ、2人から火災はなかった旨を了承するように指示されたんです」(本田氏)

 つまりは隠蔽の強要である。原発では建設中から稼働後も大小さまざまな事故、トラブルが発生するが、些細なものとして国や自治体への報告を怠る場合もあれば、重大、深刻すぎるために意図的に隠すことも珍しくない。原発への批判、反対を恐れて、事故、トラブルは隠そうというのが電力会社のいわば習性だからだ。この事故を電力側、受注側ともにいかに重大視したかは、四電3号機建設所長と荏原製作所四国支店長というトップ同士が鳩首会議、現場責任者の本田氏に口止めを指示したことでも明白だ。

告発を無視した保安院の対応

 事故が深刻だったのは当然。消火ポンプは原発本体である原子炉建屋内各所に配置された消火栓に水を送るもの。原子炉建屋で火災が発生したとき、消火システムが機能しなければ大事故につながる可能性がある。その後、問題の機器は取り換えられて工事完了。他のすべての工事も終わり、3号機は94年から試運転を経て同年末から営業運転を開始した。それまで本田氏は荏原製作所の他の仕事にも携わるが、3号機工事責任者であることに変わりはなかった。

 それというのも消火ポンプは消防法に基づき、『消防用設備等検査済証』の交付を受けなければならないが、検査には施行責任者も立ち会う必要がある。ところが本田氏はそれに立ち会っていないという。つまり四電は消防の検査を受けないまま3号機を動かしたことになる。事実なら事故隠蔽のみならず法律違反だ。

 「私は内部告発は罪になると思いこんでいましたが、04年に会社と縁が切れたうえ、法律で告発も保護されると知り、保安院に申告しました」(本田氏)

 ところが保安院の対応は、名称を「原子力安全」より「電力会社安全」に置き換えてしかるべきものだった。本田氏の申告を受けて発表したその調査結果は、同氏の主張を無視、四電と摺り合わせして導き出したものでしかないことを冒頭から露呈していた。

(つづく)

恩田 勝亘【おんだ・かつのぶ】
1943年生まれ。67年より女性誌や雑誌のライター。71年より『週刊現代』記者として長年スクープを連発。2007年からはフリーに転じ、政治・経済・社会問題とテーマは幅広い。チェルノブイリ原子力発電所現地特派員レポートなどで健筆を振るっている。著書に『東京電力・帝国の暗黒』(七つ森書館)、『原発に子孫の命は売れない―舛倉隆と棚塩原発反対同盟23年の闘い』(七つ森書館)、『仏教の格言』(KKベストセラーズ)、『日本に君臨するもの』(主婦の友社―共著)など。

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