江口氏の第二の敗因は、相も変らぬ自民党流の組織戦術が功を奏しなかったということだ。そうした傾向は今、都市の大小を問わず、共通している。推薦団体は多数あっても、その団体が機能を発揮できなくなっているのだ。農政連しかり医師会しかりである。とくにこの冬から春は、漁業者にとって海苔の収穫時期である。そのさなかの選挙に身が入るわけがない。また比較的閑散期である農業者はどうかというと、今回、農政連はまったくと言っていいほど動きがなかったようだ。幹部は動けど下部が動かない。
また、江口氏にとって頼みの古賀誠後援会がまったく動かなかったことも特徴としてあげられる。古賀誠氏と江口氏の関係にはそんなに緊密な関係性がない。選挙の時の貸し借りがある程度だと言っていいほどだ。政治的な考え方や利権構造に関して両者の関係は薄い状況であった。そうしたなかで古賀誠国会報告会を利用し、江口氏の名前を売ろうしても人が集まるわけがない。旧柳川市をはじめ旧2町でおこなわれた3月初旬の報告会は予定の半分も会場は埋まらなかったという現実がある。この田舎の都市においても旧来の自民党型選挙が崩れ始め、同時に衆院7区の自民党の重鎮である古賀誠氏への不満の声が農・漁業者から噴出しつつあるのである。古賀氏が「橋や道路を造れば造るほど」不満が増大する現象が生まれている。
第三の敗因は、江口氏が自民党に対する人々の見方が変化していることを見逃し、いまだに政権与党の座にいるがごとく振舞い、選挙に対する備えを怠ってきたからにほかならない。4年間に1度は選挙がある、という前提で地方議員は、言い方は悪いが「刃を磨いておかねば」ならないのだ。12年間で錆びついた刀は抜こうにも抜けなく、抜いた時には選挙が終わっていた。それほどまでに地元に密着した政治活動が希薄だったのだ。
第四の敗因は、「政治とカネ」の問題である。調査報道サイト「HUNTER」が報道した江口氏の政治資金規正法違反疑惑が地元で話題となり、コピーが配布されたようである。江口氏は3月はじめから「政治とカネ」の問題への追及に腰が砕け、連絡がとれないことがたびたびあったという。古賀誠氏から流れてきたカネがどう処理されてきたのかについては、「HUNTER」で報じられているため重複を避ける。
こうしてみれば椛島氏は江口氏の敵失に乗じて勝利したかにみえよう。しかし「運を味方に付けることができる人は」と真の強者でもある。椛島氏の名誉のために付け加えるならば、椛島氏の勝因は、民主党への逆風を背景に、無所属が有利と判断し、また江口氏の多選に対する有権者の気分を先取りした勝利だったといっていいだろう。
問題はこれからである。椛島氏も公人となった以上、マスコミをはじめ多くの有権者から厳しい眼差しで言動を監視されることになる。キャッチフレーズにあるように、あらゆる課題に「謙虚に、真面目に、誠実に!!」向き合うことが政治家としての成長につながっていくことになるだろう。(なお今回の選挙で、なぜ、柳川市民が、自民党から民主党にシフトしたのかについては後述することとしたい)。
【柳川通信員】
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