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天国と地獄の狭間~新興デベロッパーの倒産から再出発までの600日の記録 (130)
経済小説
2011年4月28日 10:07

<弁済の実行>

 21年11月となった。思えば民事再生の申立をしたのが20年の11月である。債権者への弁済のメイン部分を実行するまでに1年間がかかったことになる。まあ、民事再生案件としては一般的なスピードであるといえよう。昨年は春から夏を経て11月の申立に至るまで資金繰のために走り回り、季節の変化を肌に感じる暇もなかった。あれから1年と思うと感慨無量なものがあった。
 債権者集会で再生計画が認可された結果、11月末日に債権額が確定している各債権者に対する弁済を実行した。弁済の事実は、証憑(ウェブバンキングの送金データの写)を監督委員に提出することで疎明しなければならなかった。

 ただし、一部の銀行については別除権となっている不動産の売却が遅れ、そのため再生債権額が確定していなかった。そのため、当面、販売担当の岩倉社長と建築担当の中井常務が会社に残り、引き続き物件の売却に当たることとした。当初10件あった不動産は、債権者集会の時点で3件にまで減っていた。ひとつは札幌(例の銀行借換が1カ月ごととなった物件で、基礎工事までの掘削が終わったところで民事再生となり、その後工事を再開できず近隣住民の方々にご迷惑をお掛けした)、ひとつは東京都新宿区のビル(建物の仕上げが残っており、売却に当たってはゼネコンと銀行双方の合意が必要であったため売却に時間がかかっていた)、最後のひとつは鹿児島の既存ビルであった。

<非常勤に>

残る不動産は、岩倉社長と中井常務が残って売却に当たることになった... 残る不動産は、岩倉社長と中井常務が残って売却に当たることになった。一方、弁護士からは債権者の理解を得るためにも常勤者の数を減らして役員報酬を節約するように、との話が出ていた。このため私は、21年12月以降は非常勤取締役とし、役員報酬を小遣程度に下げた。

 しかし私は取締役であったため雇用保険には加入しておらず、自宅のローンも抱えていることから、早々に職について収入を得る必要があった。が、リーマンショック後の福岡では、管理系の求人は皆無であった。このため私はあえていつも求人を出している中堅企業に応募し、経営企画の職を得た。その企業は社員の定着度が非常に低いため、この不況にもかかわらず求人をしていた。私としても他に選択肢がなく、非常勤取締役としてDKホールディングスの仕事と兼務することを了承していただけたので、この企業に入社させていただいた。私はここで仕事をしながら、民事再生を最後まで見守ることにした。

 先に述べたように、DKホールディングスには私を含めても役員3名が残っているだけであった。セントラルレジデンスに経理を委託し、事務所に机も借りていた。そして私は、日中は中堅企業で仕事をし、週に1度ほどセントラルレジデンスに夕方または週末に出社して、資金繰の確認や裁判所に提出する月例報告書の作成を行なった。

<残る不動産の処分>

 私が平成21年12月より非常勤になった後も、不動産を売却処分する作業が続いた。最後に残ったのは東京と札幌の物件であった。岩倉社長は販売担当としてたびたび出張し、それぞれの担保権者である銀行とも交渉を行なったが、両物件が処分できたのは平成22年3月であった。東京は工事が5割ほど進捗した段階で民事再生を迎えた物件であり、札幌は本工事こそ始まっていなかったが、土地を大きく掘削した状態で工事ストップとなった物件であった。このためいずれも工事担当の中井常務も最終処理に携わることとなった。

〔登場者名はすべて仮称〕

(つづく)

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