III 倒産の本質と私の反省
倒産の本質
<倒産とは何か>
私は、倒産についてあれこれと調べてみた。
まず倒産という言葉には、法令上の定義はない。日本では倒産法制は「破産法」「会社更生法」「民事再生法」「会社法」「特別清算」というようにいくつかの法制によって構成されている。また日本では信用調査会社が毎月の倒産件数を公表し、これが経済指標として利用されているが、このなかで東京商工リサーチの定義を見ると、「倒産とは債務者の決定的な経済的破綻を倒産という」としている。そして倒産件数を統計化するために、上記の4つの法制に基づくもののほかに、銀行取引停止処分と私的整理も倒産としてカウントしている。
倒産を処理方法によって類型化すると、「清算型手続」と「再建型手続」に分かれる。
「清算型手続」には、破産法と会社法特別清算が該当する。読んで字のごとく、倒産した会社の財産を全て換金してそれを債権者に分配する手続である。「再建型手続」には、民事再生法と会社更生法が該当する。これは膨らみすぎた負債を減免するなどしたうえで、事業を継続することを目指す手続である。しかし経済行為としてみると、清算型手続であっても財産の一部である事業を譲渡して継続する可能性もあるし、再建型手続であってもDKホールディングスのように、一部事業を譲渡した後に清算して配当することを目指す可能性もある。
私は、ウィキペディアなどを検索し倒産の歴史についても調べてみた。「倒産」とは経済活動が営まれる限り、ある確率で必ず発生するものなので、古今東西の様々な社会に倒産法制が存在する。
古代ギリシャでは、破産した債務者は奴隷身分に落とされてしまい、債務を返済するまで市民に戻れなかったとのことである。しかも破産した本人だけでなく、その家族や使用人まで連座する。これは、いわば倒産法制がない状態であるといえるであろう。しかし都市国家のなかでは、債務奴隷の期間は5年間が上限とされ、しかも普通の奴隷と異なり生命と手足が保護されていた。これなどは倒産法制の萌芽といえるのではないか。しかし債務の一部免責が法制に現れてきたのは18世紀の初頭のイギリスであった。
アジアでも中世のモンゴルではチンギスハーン法典に『3回破産したものは死刑』という厳しい定めがあった。やはり債務不履行の代償は高かった。
日本でも、江戸時代には破産手続が広く行なわれていた。この時代になると破産者の財産は差し押さえられたが、妻の所有物や1カ月分の飯米は対象から外されるなど、債務者を保護する運用も存在していた。そして江戸時代の後半には、債務の減免も行なれるようになったという。
〔登場者名はすべて仮称〕
(つづく)
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