福岡がアジアへと飛翔していくうえで、最も重要な役割を果たすのが博多港の港湾機能だろう。これまでも物流機能において福岡経済を支え、さらには人流においても国際旅客の拠点として、港湾では国内1位の出入国者数を誇る。物流においては新しい港湾機能の充実やアジアとの航路開発、人流においてもクルーズ船の活発な寄港など、未来を見据えた取り組みが活発化している。これからも博多港が福岡経済を支え続けるために、どのような姿が望ましいのか。産官学、それぞれの立場から話し合っていただいた。
―まず、日本において本当に福岡が対アジアにおける基点となっているのでしょうか。「アジアの交流拠点都市」というスローガンを掲げて、今日に至っていますが。
星野 1989年、日本が欧米を向いている時代に、福岡では「アジア太平洋博覧会」(よかトピア)が開かれました。これは非常に先駆性があったと思います。にもかかわらず、それほどアジア度は高くなかったのではないかとも感じます。その後、たとえば福岡アジア文化賞、アジア太平洋こども会議など文化的な取り組みは、福岡県も市もされてきたでしょう。
しかし、ビジネス面での成果は、JR九州高速船が釜山と博多を結び、多いときには80万人が行き来することでゲートウェイになったことくらいです。裏を返せば、それ以外に福岡のアジア度が向上した事象というのは何もないと思います。
―それは、なぜですか。
星野 やはり、ビジネスを巻き込むことに失敗したからでしょう。行政主導で文化的な取り組みはしたけれども、アジアからの投資の呼び込みや福岡の企業がアジアに進出する、または貿易を活性化するということがほとんどなされてこなかった。それが一番大きな原因だと思います。
―アジアに開けたゲートウェイといったときには、てっきりビジネスがらみだと思っていました。
江頭 福岡は博覧会やイベントなど開催するごとに大きくなってきました。そういう意味で言えば、昔の博覧会はいわゆる大東亜共栄圏的なものであったものが、よかトピアのときは「アジア太平洋」という、現在でも使えるすばらしいテーマを持っていたと思いますし、少なくとも港湾に関してはその線で行っていたと思います。"1割経済の九州"を引っぱるアジアのゲートウェイとしては、89年の博覧会を契機に香椎パークポートをつくり、アジアのゲートウェイを目指してコンテナターミナルができ、その後はアイランドシティと続きました。そこまでは順調だったと思います。また、国際旅客ターミナルの整備も進み、国際旅客のゲートウェイの役割が大きくなりました。一方で、最近は、港湾投資に関しては若干足踏み状態になりました。
一方で空港に関しては、インフラとしての空港のあり方を考えますと、2000年頃までは前向きにどうあるべきかという議論もありましたが、それ以降は経済の影響もあって停滞気味になりました。しかし、現空港の容量は限界にありますし、LCCの時代を迎えて離発着需要は増してくると思われ、能力増大が急務と思われます。
【文・構成:徳田 仁】
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<出席者> | |
九州大学大学院経済学研究院 教授 星野 裕志 氏 | |
博多港ふ頭(株) 代表取締役社長 江頭 和彦 氏 | |
国土交通省九州地方整備局 港湾空港部長 松原 裕 氏 | |
司会進行 中村 もとき 氏 |
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