久山町での誘致案を止めるわけにはいかなかった。町民との折衝と同時に米国側との折衝は続いていた。パラマウント映画だけではなく、UCLAエクステンションの誘致も同時進行で進めていく。2004年にはUCLAの幹部を福岡へ招き、その意義を語ってもらうセミナーも開催した。これも地権者ら関係者たちに内容を理解してもらうためのことだった。けれども、地元の理解を得るには遠いばかりか、不信だけが募ることとなった。
「そげんな大きかところが、久山に来るはずがなかろう」
「うちらは騙されとるとやなかろうか」
この地域住民感情にマスコミが追い討ちをかける。そもそもメディア各社は、おおむね懐疑的だった。事実は事実として報じてはいるものの、批判的な声を併せて報道していった。本当に来るのだろうか。何か裏があるのではないか。住民たちは不安を募らせる。そんな状態のまま土地の確保は、賃借のための仮登記まで進んでいた。山崎氏は早く実現の目途を示すことこそ安心につながると考えていたのだ。そのために、仮登記を賃借権設定の本登記へと進めたかった。地権者たちに説得を試みる。けれども、のらりくらりとかわされるだけだった。一向に土地を押さえることが叶わなかったのだ。
「結局、心の問題が一番大きかったのかも知れません。経験したことがないことに挑戦するときには、人は誰しも保守的になります。それを、勇気を振り絞って進めてこそ開発は実現するのだと思います。その理解を得ることは、ついにできませんでした」(山崎氏)
住民の不安を掻きたてたメディア。こちらにも一理ある。山崎氏からは「計画がある」「米国との交渉は進んでいる」という言葉が聞かれたが、それを示す証拠が提示されないのだ。契約書の1枚、覚書の1枚でも示されたなら、話は早かったのかも知れない。けれども山崎氏からは山崎氏の言葉しか返ってこない。メディアはそれをして不審に感じたのである。
そして2007年、地権者との隔たりが表面化していく。メディアもそれを取り上げる。そして疑念は反対姿勢へと完全に移行してしまったのである。
あるテレビ局は、全国ネットのニュース番組で久山町を訪れた。
「ここがパラマウントの予定地とされている土地です。けれども、ブルドーザーの1台も見当たりません」
【柳 茂嘉】