福岡にパラマウント映画のテーマパークを誘致する。この壮大な、絵空事とも思える計画は日本トレイドの山崎社長が考えたものではない。もう過去のこととなった感もあり、覚えている人は少なくなったかも知れないが、事の発端は福岡市の第三セクター・博多港開発なのである。
主要な計画を打ち出したのは、2000年ごろの博多港開発の社長で、桑原元市長のもとで助役として活躍し、都市開発の雄として名を上げた人物だった。その元社長と山崎氏の付き合いは長かった。1980年代後半ごろ、百道浜の埋立地を活用するために山崎氏に当時港湾局長だった元社長がアプローチしてきたのが始まりだった。元社長は当時港湾局長として百道浜の開発に頭を悩ませていた。そこで山崎氏にユニバーサル映画のテーマパークを誘致できないかと相談を持ちかけた。これが始まりである。
結果としては、当時からユニバーサル映画の日本ライセンスはパナソニックが所有していたために実現はせず、結局福岡ドームが誕生することになったのだが、山崎氏は元社長の人柄と志に打たれ、まるで師匠のように元社長を尊敬するようになっていったのだ。その元社長はアイランドシティの先行きを心底心配していたという。そこで一言、山崎氏に案件を依頼した。
「パラマウントをアイランドシティに持ってきてくれ」
山崎氏にしてみれば、鶴の一声どころか神の勅命である。謹んで承り、早速実行に移した。調査も行ない、米国側とも折衝を重ねた末、具体的な青写真が出来上がった。これでアイランドシティにも将来が見える。そう感じたのも束の間のことだった。福岡市に第三セクターの危機が到来したのである。2002年のことだった。
始まりはスーパーブランドシティの破たんである。一気に世論が傾いた。市が出資しているからと言って安心できない、と。風がにわかに変わっていく。開発することが必ずしもいいとは限らないという思想が広がっていった。その風は博多港開発をも巻き込んでいった。事業がメディアの目でつぶさに調べ上げられ、ひとつの、とてつもなく大きなスキャンダルが発覚することになったのだ。俗に言われる「ケヤキ・庭石問題」である。
仔細は触れないが、これによって02年10月に博多港開発元社長は市議会から喚問を受けることになった(翌03年に不名誉な事柄から元社長は辞任を余儀なくされ、さらにその翌年には逮捕されることになる)。言い出しっぺを失ったパラマウントの計画は後ろ盾を失い、失速するかに思われた。そんな折、元社長のもとに一本の連絡が入る。
「わが町にパラマウントを持ってきてはくれませんか」
【柳 茂嘉】
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