福岡博多ライオンズクラブ 第47代会長 別府 壽信 氏
<若い力で引っぱる>
―ところで、別府会長にとってライオンズクラブとは何でしょうか。
別府 私はまさに「自分を活かす、磨く場」だと思っています。また、自らがそういう風にもっていかなければ、後が続かないと思います。ライオンズクラブとは面白いもので、いつかは何らかの先頭に立つ役割を果たさなければならない時期がきます。しかし、私よりもずっとすごい人たちが先輩にいるわけです。その意味で、JC(日本青年会議所)などほかの組織・団体とは少し違うと思います。
―初め、ライオンズクラブにどのようなイメージがありましたか。
別府 約16年前、私はJCが終わってすぐに入会のお誘いがありました。しかし、そのときは「もう少し自分の仕事をさせてください」と申し上げました。ちょうどその年は、福岡博多ライオンズクラブの30周年事業で桜を植えていたのですが、その植樹のお手伝いをさせていただきました。それから5年後の35周年のときも桜を植えることになり、この年に正式に入会しました。
私の今があるのは桜の縁です。ですから、私は桜を植えた南公園(中央区)にはすごく思い入れがあります。あそこはもともとケヤキなどの雑木が中心でした。それを「桜の名所にしたい」ということで桜を植えることになったようです。
―やはり、ライオンズクラブもブランドのつくり直しの時期にきていますね。
別府 福岡博多ライオンズクラブなりのアイデンティティや歴史があるはずです。ブランドづくりには、先輩方から引き継いだものをより発展させていく必要があります。しかし、そうしたものはだんだん薄れていっており、予算的にも先細りし、魅力も失われているというのが現状です。どこかでそれをしっかり受け止めて、活動をPRしていく必要があります。
組織を若返らせるといっても、若手がすぐに会長になれるわけでもありません。ただ、そういう役割をいずれ果たさなければならない、そのための「こうしたい、こう変えたい」と考える助走期間が3年間あるわけです。
<すべての人を動かす>
―今年は本当に、福岡博多ライオンズクラブが再生できるかどうかのギリギリの年だったと思います。私もほとんど会では仕事をしていない状態でした。やはり、ポジションをもらわないとわからないことも多いですよね。
別府 ただ会に出席して食事して帰る、というだけでは飽きてきます。自分の生活のなかで優先順位では1番になりません。例会の意義を明確にするとか、いろいろな卓話が聞けるといったことがあれば、より出席率も上がると思います。
―私も「皆で行こうや」と誘うこともありますが、やはりそういう企画がないと誘いにくいですね。
別府 実際に会を開いても、その日は委員長も副委員長も不在で、幹事が動かなければ何も動かないというときもありました。それがここ最近続いてきたと思います。
―福岡博多ライオンズクラブが元気になれば、必ずほかの地区のライオンズクラブにも伝わると思います。
別府 実際に46年という歴史性があり、その歴史の重みと若手のアグレッシブな気持ちが加わって活性化すれば、その元気さがほかの地区のライオンズクラブにも伝わると思います。もちろん、会長をはじめ幹事、会計の3役が頑張らないといけませんが、やはり皆の力を結集して頑張っていく必要があります。
会社経営もそうで、社長がいくら単独で頑張っても1人分の力の結果しか出せません。社員全員が頑張ることで、社長も社員に生きがいを与えることができます。とにかく「すべての人を動かす」ことが重要だと思います。
―やはり自分の会社で日々、組織運営しておかないとなかなかそれは難しいでしょうね。これは日本のライオンズクラブ全体に言えることでしょう。
別府 会員の減少を"不況"を言いわけにしてきた面もありますが、やはりそうではないでしょう。仕事でも、不況だからとじっとしていては前に進みません。ライオンズクラブも同じで、まずは自ら動くことが大事です。
【文・構成:大根田 康介】
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<プロフィール>
別府 壽信(べっぷ・ひさのぶ)
1955年福岡県生まれ。西日本短期大学造園学科卒業後、76年(株)別府梢風園入社、85年、同社代表取締役社長に就任。今年7月から福岡博多ライオンズクラブ第47代会長に就任予定。
趣味は読書、ゴルフ。
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